著者
佐藤 康太
出版者
国立音楽大学大学院
雑誌
音楽研究 : 大学院研究年報 = Ongaku Kenkyu : Journal of Graduate School, Kunitachi College of Music (ISSN:02894807)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.1-16, 2023-03-31

メンデルスゾーンの《演奏会用小品第2番ニ短調》作品114にはメンデルスゾーン本人によるものではないオーケストラ伴奏稿が存在する。その編曲者に関して、初演者の1人であり成立過程に密接に関与したミュンヒェンのクラリネット奏者カール・ベアマンではなく、同姓同名の伯父であるベルリンのファゴット奏者ではないかという可能性が、Riedelによって提案されていた。本論文は、候補となる2人のカール・ベアマンのうち、編曲者はミュンヒェンのカールである可能性が高いことを史料の情報を精査することで示すものである。まずオーケストラ伴奏稿唯一の楽譜史料であるミュンヒェンの手稿総譜が、Riedelの想定する自筆の作業用総譜ではなく、あくまで別の史料から書き写されたものであることを、特に第3楽章の修正痕から明らかにする。この箇所ではバスパートのみを1小節ずらして書いてしまったものを後から修正しているが、これは編曲するときには起こりにくく、楽譜を筆写するときに容易に起こるものである。続いて、このミュンヒェンの史料が、誰によって書かれたものかを考察する。Riedelは、この史料の筆跡がミュンヒェンのカールによるものではないという点から、書き手としてベルリンのカールを想定した。しかし筆者がこの史料を、ベルリンの確実性の高い史料と比較した結果、書き手はミュンヒェンのカールの父であるハインリヒ・ベアマンである可能性が非常に高いことが明らかになった。中でも、イタリア語の序数secondoをIImoと誤記している点は、この2つの史料に固有の特徴である。また本史料に使われているのがミュンヒェン近郊の紙工房のものであること、そして本史料がミュンヒェン宮廷楽団のコレクションであったことも、書き手がハインリヒであることを支持する。もしベルリンのカールが書き手であるとしたら、同じ筆跡による複数のハインリヒ・ベアマンの作品が同コレクションに含まれていることの説明がつかない。史料の書き手がベルリンのカールではない以上、編曲者としても彼を想定する必然性はない。筆者はさらに、オーケストラ伴奏稿の第1楽章のカデンツァが、ミュンヒェンのカールが所持していた筆写譜に基づく初版譜のそれと明確な共通性を示すことを指摘し、編曲者としてもミュンヒェンのカールを想定すべきという結論に達した。なぜハインリヒが息子の楽譜を書き写す必要があったのかは確かに疑問ではあるが、それだけを理由に編曲者としてベルリンのカールを想定することは、史料そのものから読み取ることのできる情報に反する。最後に筆者は、現存史料の関係性を樹形図として示した。第2楽章のカデンツァの違いから、オーケストラ伴奏稿のもととなった筆写譜と、初版譜のもとになった筆写譜は――両方ともベアマン親子が所持していたはずだが――異なるものであった可能性が高い。

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でも押し通しちゃった(テヘペロ) https://t.co/HfOn4r6cjk なお内容はテレマンと1ミリも関係ない、メンデルスゾーンのクラ&バセットホルンのデュオに関してです。 (コソ宣)

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