著者
長沼 正樹
雑誌
論集忍路子 (ISSN:18804713)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.57-73, 2005

日本列島における更新世終末期の考古学的研究は,史的唯物論と自国の一国史を前提に,旧石器時代から縄文時代への変化を明らかにするとの課題を立て,日本の外部からの新文化の伝来なのか,それとも内部で自発的に展開したのかという問題構成を軸に進められた。縄文文化起源論の形をとる外来説は大陸文化の波及を強調し,一方で旧石器終末期編年の形をとる内在説は,石器の変化に狩猟具の発展を認めようとした。やがて戦前の旧石器の存在が知られていない頃の主流であった外来説から,岩宿発見を経て内在説を基本とする理解へとシフトし,旧石器から縄文への移行は短期間に複数の石器が変化した激動の時代であったと理解された。しかし 90 年代後半以後には,C年代の蓄積とロシア・中国での調査の進展をうけて,短期間という時間認識と一国史的な空間認識は再考を迫られた。国家の空間範囲の中で生産力の発展を先史時代にさぐる枠組みにかわり,多階層的な空間範囲での自然と人類活動との相互システムの個別的解明と,それらの広域での比較が,今後の研究に求められる枠組みである。