著者
雨宮 徹 Tohru AMEMIYA
出版者
大阪河﨑リハビリテーション大学
雑誌
大阪河﨑リハビリテーション大学紀要 = Journal of Osaka Kawasaki Rehabilitation University (ISSN:1881509X)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.23-37, 2008-03

拙論の目的は、恋と愛を質的に異なる現象として扱い、両者における自己-他者関係の相違を明確にすることにある。まず、恋においては、自己の欲望を余すところなく満たすために他者から離れようとする方向性と、自己が他者に受容されるために他者に接近しようとする方向性の二つが、互いに鋭く矛盾したまま、並存していることが確認される。この矛盾を解決するために、恋する人間はさまざまな戦略をとるが、それらはすべて破綻するということが明らかにされる。次にフランクルの「コペルニクス的転回」の概念を手掛かりとし、恋における自己の特徴は、自己中心性にあるのだと位置づけられるのに対して、愛の特徴は、自己超越性にあるのだということが、「Bei-sein」にまで遡って説明される。その結果、愛において他者は、主客が分裂する以前の、自己における他者の端的な顕現への驚きを通じて、その存在の独自性を看取されるのだ、ということが示される。
著者
小西 正良
出版者
大阪河崎リハビリテーション大学
雑誌
大阪河崎リハビリテーション大学紀要 (ISSN:1881509X)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.51-59, 2007

The purpose of this study is to examine the ups and downs on emotion and it's solving procedures. I performed questionnaire investigation about four kinds of emotion; joy, anger, sorrow, and pleasure to 114 students (16 male and 98 female students) in two nurse course schools. They spend actively in weekend time. Feelings occurrence about joy is shopping, trip, and party, and trouble with another person about anger, the natural phenomenon about sorrow, and friends, owns hobby about pleasure. Emotional occurrence does not have correlation with day-time but physiologic desires, and natural phenomenon. Solution procedures about emotion ups and downs are a feeling change by appreciation such as music or the DVD, endured own feelings and took with a friend. In addition, a tendency to reflect on immaturity of self was seen, and it became clear to take an action to be able to consider as the sprouting of awareness as a medical care person.
著者
雨宮 徹
出版者
大阪河崎リハビリテーション大学
雑誌
大阪河崎リハビリテーション大学紀要 (ISSN:1881509X)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.23-37, 2008

拙論の目的は、恋と愛を質的に異なる現象として扱い、両者における自己-他者関係の相違を明確にすることにある。まず、恋においては、自己の欲望を余すところなく満たすために他者から離れようとする方向性と、自己が他者に受容されるために他者に接近しようとする方向性の二つが、互いに鋭く矛盾したまま、並存していることが確認される。この矛盾を解決するために、恋する人間はさまざまな戦略をとるが、それらはすべて破綻するということが明らかにされる。次にフランクルの「コペルニクス的転回」の概念を手掛かりとし、恋における自己の特徴は、自己中心性にあるのだと位置づけられるのに対して、愛の特徴は、自己超越性にあるのだということが、「Bei-sein」にまで遡って説明される。その結果、愛において他者は、主客が分裂する以前の、自己における他者の端的な顕現への驚きを通じて、その存在の独自性を看取されるのだ、ということが示される。