著者
佐藤 友梨 サトウ ユリ SATO Yuri
出版者
西南学院大学大学院
雑誌
西南学院大学大学院研究論集 (ISSN:21895481)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.123-134, 2016-02

エーリッヒ・フロムはその著書『自由であるということ』 の中で旧約聖書における神・人・歴史観を再解釈し、人間存在における自由という概念を提起している。フロムの代表作は1941年に刊行された『自由からの逃走』であり一貫して自由ということが主題となっている。第一次世界大戦後古い君主政治から新しいデモクラシーに代わって、人々は自由を手に入れたはずなのに、またしても新しい強力な権力〈ファシズム〉に服従し始めたのは何故かという問題意識がフロムの著作には一貫して流れている。フロムは他にも様々な著作を刊行しているが、それらは基本的に『自由からの逃走』で示された議論を展開したものとして理解できる。つまり、1966年に刊行された『自由であるということ』におけるフロムの議論は、『自由からの逃走』で示された議論を、旧約聖書というユダヤ教の書物から再解釈することによって発展または変容させたものであると考えられる。この意味において、『自由であるということ』を旧約の妥当な解釈を行った著作であるか否かを議論することは有意義ではない。しかし、フロムの議論は社会心理学的な面が注目されがちであるが、フロムは宗教と精神分析に独自の接近法で考察を行っているため、フロムの自由の議論においては宗教的側面に着目することが可能である。以上のことから、本稿ではフロムの社会学的及び精神分析学的側面を認めつつも、実存論的次元を明らかとするために、人間の精神の深部に迫る宗教的側面に特に注目する。
著者
片山 怜
出版者
西南学院大学大学院
雑誌
西南学院大学大学院研究論集 (ISSN:21895481)
巻号頁・発行日
no.1, pp.171-180, 2015-11-20

近年、国際結婚の増加にともない、日本から配偶者の国である海外へと移住する日本人が増えている。中でも、女性の移動の方が男性より多い。1990年頃から、国外における日本人男性の国際結婚が減少しているのに対し、同時期における日本人女性の国際結婚は、逆に増えているのが現状である。本稿では、台湾に住む日本人妻を研究対象とし、日本人女性が台湾人男性との結婚に至るプロセスとそのメカニズムを解明するとともに、異文化に暮らす日本人妻たちが、いかにしてホスト社会に適応しているかについて考察する。本研究の主な目的は、異文化間で結婚し、外国に移住する日本人女性の「出会い」のパターンと台湾において日本人妻たちが自ら築き上げてきた社会的ネットワークを解明することで、日本人女性の海外での活躍及び異文化適応のプロセスを理解するとともに、日本と台湾双方の文化の違いや社会の変動によって変化していく国際結婚のあり方を模索することである。異なる文化の中に住む人々とともに生きていく日本人女性にとって、自分のアイデンティティを維持しながら、異文化にうまく適応していくためには、自分たちの社会的ネットワークを組織する必要があった。この社会的ネットワークの実態を解明することは、異文化で生活する人々の適応過程から問題点を見出すことができ、ひいては、民族間の摩擦や対立、偏見の問題に新しい視点を提供できることが期待できる。研究対象の国際結婚相手国に台湾を選んだのは以下の理由による。台湾の高度成長と国際化に伴い、日本と台湾の交流が盛んにおこなわれるようになった。1980年代後半から、台湾では民主化が進展し、1987年に戒厳令が解除されたが、それから一気に台湾における日本ブームが到来した。まず、1990年代には民主体制が確立され、1993年に日本語及び日本のテレビ番組の放送が解禁になったのに続いて、映画、雑誌、キャラクターグッズなど日本のモノが大量に輸入されるようになった。こうして日本製品が出回る中で日本語ブームが起き、台湾各地で「地球村」、「世界村」、「科見」、「永漢」などといった日本語補習班ができたほか、台湾の大学でも相次いで日本語学科が新設されるようになった。また、こうした趨勢のなかで、日本に留学する台湾人が増え、一方で、台湾での日本語教育の需要の高まりと共に、台湾で日本語教師として働く日本人も増加している。また、台湾では、台湾に居住する日本人妻が自ら組織した日本人妻の親睦会が各地にいくつも存在し、その会員数が増えている。これは、夫台湾人・妻日本人のカップルが増加していることを意味する。1975年に日本人妻の親睦会「なでしこ会」が台北に発足したのを皮切りに、台中には「桜会」、台南には「南風」、高雄には「ひまわり会」と台湾各地に次々と日本人妻の会が発足している。その他にも、国際結婚家庭の居留環境の改善を目的に活動している「居留問題を考える会」や母親になった日本人女性のための母乳の会である「ねねの会」など、国際結婚し、母国ではない国で暮らすことになった日本人妻のよりどころとなる様々な組織が存在するのである。これだけ多くの組織を発足させたということは、国際結婚した日本人女性が増えているということ、そして、これから先も増え続けるであろうということを示唆している。本稿では、日台間の人的移動に関する日本と台湾の政府統計データ、新聞雑誌記事の分析に加え、(1)今回筆者が行った台湾人男性と国際結婚をした日本人女性のライフヒストリーの聞き取り調査、及び(2)在台日本人妻の会「なでしこ会」での参与観察によって得た資料などの分析をもとに、台湾に居住する日本人妻の異文化適応における新たな展開について考察する。
著者
野副 常治 ノゾエ ジョウジ NOZOE Joji
出版者
西南学院大学大学院
雑誌
西南学院大学大学院研究論集 (ISSN:21895481)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.77-104, 2015-08

現在の日本の人口構造は、急速な少子高齢化により大きく変化している。その中で、年金や医療をはじめとする社会保障制度における負担と給付の在り方について、どのようにあるべきなのかが重要な課題となっている。2008年末、政府が決定した「中期プログラム」においては、社会保障費の安定的財源確保のため、抜本的税制改革を行うとされていたが、その改革の中心は、消費税増税による財源確保である。個人の所得税については、各種控除や税率構造の見直し、高所得者の税負担の引き上げなどによって所得再分配機能の充実を図り、中・低所得世帯の負担の軽減や金融所得課税の一体化なども提案されている。しかし、一方で基礎年金においては、厚生労働省が2004年の年金改正において、国民の負担を増加させないために、基礎年金の国庫負担を2分の1に引き上げるとしたが、これは、結局、国民の負担を増加させたに過ぎない。なぜなら、国庫の財源は税であり、その負担率を増加させたということは、国民の負担も同時に増加させたことに繋がるからである。単なる税率の増加は、単に国民一人ひとりの負担を増加させただけであり、本来の負担抑制になっていない。つまり、社会保険料の引き上げをしない場合でも、国庫負担を引き上げれば、それは、国民生活に重くのしかかることにつながるのである。かつて、民主党がマニフェストの中で、スウェーデンの年金制度を参考にし、所得比例年金と最低保障年金を組み合わせた新しい年金制度の導入を提案していた。この方式によって、低年金、無年金問題を解決し、転職にも対応できると掲げている。しかし、この中でも税制の抜本的改革を中心としたものに留まっているだけで、社会保険料を含めた財源全体の改革には触れられていない。本稿では、現在の税と社会保障の一体改革が、単なる国民負担の増加に繋がるものであり、公的年金制度の根本的な問題である財源の確保と負担と給付の不公平性を解決する施策となりえていないことに言及し、負担と給付のバランスを図るためには、どのような制度改革が必要なのか、また、新たな財源をどこに求めるべきなのかについて方向性を示すものある。
著者
柏本 隆宏 カシモト タカヒロ KASHIMOTO Takahiro
出版者
西南学院大学大学院
雑誌
西南学院大学大学院研究論集 (ISSN:21895481)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.47-106, 2016-02 (Released:2016-05-30)

本研究の目的は、キリスト教再建主義(Christian Reconstructionism)の神学思想が、教理史・教会史的にどのような背景を持ち、「神の国の建設」という宣教(mission)の観点からどのように位置付けることが出来るかについて考察することである。そして、そのための予備的考察において、再建主義者が、1960年代後半以降アメリカで広がった世俗的人間中心主義(secular humanism)と対決する一方で、福音派(evangelicals)を含め、聖書を誤りなき神の言葉として信じるキリスト者において広く信じられていた契約期分割主義(dispensationalism)を批判するという問題意識を持っていたことを確認した。そして、契約期分割主義においては、反律法主義的な傾向が見られると共に、この世はサタンが支配しているので、正義と平和の実現のために行動するのは無意味であると考えられていることを、再建主義者は問題にしていることが明らかになった。キリスト教再建主義の神学者であるゲイリー・デマー(Gary DeMar)は、ゲイリー・ノース(Gary Kilgore North, 1942-)との共著『キリスト教再建主義――それは何であるか。また、何でないのか』(1991年)において、再建主義の神学的特徴として、再生(regeneration)の必要性の強調、現代社会に対する聖書の律法(Biblical law)の適用、前提主義(presuppositionalism)に基づく認識論、脱中央集権型の社会秩序(decentralized social order)の志向と共に、千年期後再臨説(postmillennialism)に基づく終末論を挙げている。千年期後再臨説とは、キリスト教の終末論の一つである千年期説(millennialism)の中の一つの立場である。千年期説は「万物の終わりがくる前にキリストが千年間地上を治められる(黙示録20:1-5)という信仰」と一般的に理解されている。その上で、イエス・キリストの来臨(παρουσία)と地上支配の時期をめぐって、(1)千年期の「前に」イエス・キリストの来臨があると考える千年期前再臨説(premillennialism: 前千年王国説)、(2)千年期の「後に」イエス・キリストが来臨すると考える千年期後再臨説(postmillennialism:後千年王国説)、(3)千年期の存在を否定する無千年期説(amillennialism: 無千年王国説)という3つの見方が教会史の中で夫々展開されてきた。千年期後再臨説は、福音の宣教を通じて神の国が進展していき、あらゆる悪が征服されていくと説く。しかし、このことは、人間が自分の力だけで神の国をもたらすことが出来、神の計画をも左右し得ると考えているかのようにしばしば受け取られてきた。マーク・ユルゲンスマイヤー(Mark Juergensmeyer)は、再建主義者が千年期後再臨説に基づき、「キリスト教徒はキリストの再臨を可能にするような政治的、社会的条件を整備しておく義務をもっている」と考えているという見方を示している。アメリカ宗教史を専門とするマイケル・J. マックヴィカー(Michael J. McVicar)も、「非常に単純化している」と断りつつも、千年期後再臨説について「キリスト者がまず神の国を確立した後、イエス・キリストは地上を支配するために戻って来るだけである(will only return to rule the earth)」と説明している。こうした見方から、再建主義者の千年期後再臨説は、現代社会に対する律法の適用を説く神法主義(theonomy)と共に、キリスト教の内外において厳しい批判や激しい反発を受けてきた。例えば、栗林輝夫は「キリストの再臨を人間の力で早めるというのは、神学的にナンセンスである」と批判している。勿論、そのような批判に対し、再建主義者は、自らが拠って立つ千年期後再臨説に対する弁証に努めてきた。再建主義者に対する批判、及びそれに対する彼らの弁証の妥当性について検討するためには、彼らの千年期後再臨説がどのような背景を持ち、実際のところ何を主張しているのかを押さえる必要があるだろう。そこで、本論文では、教会史・教理史における千年期説の展開を見ることで、キリスト教再建主義が拠って立つ千年期後再臨説が歴史的・神学的にどのように位置付けられるかについて考察を行う。第1章では、19世紀・20世紀のキリスト教神学の主流において展開されてきた終末論について、キリスト教再建主義の千年期後再臨説との対比において見ていく。次に、第2章では、最初期の教会において形成された千年期説(的思想)が、古代から宗教改革期にかけてどのように展開していったかについて論じる。その上で、第3章では、イギリスとアメリカにおける千年期説の展開について叙述する。特に、再建主義者が批判の対象とする契約期分割主義が、アメリカの保守的なプロテスタントのキリスト者の間で受け入れられていった背景と経緯について述べる。
著者
坂井 清隆 サカイ キヨタカ SAKAI Kiyotaka
出版者
西南学院大学大学院
雑誌
西南学院大学大学院研究論集 (ISSN:21895481)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.157-170, 2015-08

近年、日本におけるシティズンシップ教育に関しては、全国規模の研究会等が立ち上がり、多くのシティズンシップ教育関連の著作物が刊行されるなど、我が国の現状に合った理論研究や実践研究が進んでいる。特に実践研究では、小・中学校での社会科の時間や高等学校での公民科(特に「現代社会」「政治・経済」)での実践が多数報告されている。しかしながら、シティズンシップ教育実践の先行研究の多くは、中学校、高等学校での授業の教授書および単元の試案レベルでの概要を示したり構想レベルのカリキュラムが紹介されたりしている段階6)である。また、小学校でもいくつかの実践が紹介されてはいるが、十分な単元開発がなされているとは言えず、学習者の具体的な姿を通してシティズンシップ(市民性)がどのように育成されたか明確に示した研究は見当たらない。そこで、本研究では、これまでの研究動向を踏まえ、小学校6年生での単元開発(政治分野)を行い、その実践事例の分析・検討を通してシティズンシップの育ちを具体的な子どもの姿で明らかにすることを目的とする。なお、本研究では、日本における多様なシティズンシップ教育へのアプローチを踏まえ、シティズンシップを「社会的責任を自覚し、社会的事象を多面的にとらえながら、地域・社会に積極的に関わろうとする資質」と定義し、政治学習において単元開発した事例に対して実践分析を試みる。