- 著者
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白峰 旬
- 出版者
- 別府大学史学研究会
- 雑誌
- 史学論叢 (ISSN:03868923)
- 巻号頁・発行日
- no.46, pp.107-128, 2016-03 (Released:2016-08-04)
首帳とは「戦場で討ち取った敵の首と、それを討ち取った人の名前とを記す帳簿」(1)である。本稿で扱う『関原首帳(福嶋家)』は、関ヶ原の戦いにおいて、福島正則隊が討ち取った敵の首の数と討ち取った福嶋家家臣の名前を記載したものである。『関原首帳(福嶋家)』は東京大学史料編纂所ホームページの所蔵史料目録データベース(2)において『史料稿本 四十三』に収録されているが、活字化されていないためか、これまでの関ヶ原の戦いに関する研究史において、『関原首帳(福嶋家)』について論及した研究は管見の限り見られないので、本稿では、この『関原首帳(福嶋家)』の内容を検討することにしたい。 同様の史料としては、関ヶ原の戦いにおける細川家の「首注文」があり(3)、その内容については拙著『新解釈 関ヶ原合戦の真実-脚色された天下分け目の戦い』(4)において検討をおこなった。 なお、合戦における首取りの慣行については、すでに鈴木眞哉『刀と首取り-戦国合戦異説』(5)において論及されており、首取りがおこなわれた理由として「当時の武士たちにとっては、それが即功名につながっていたから」であり、「首取りは、このように誰でも、比較的容易に立てることのできる功名であったから、功名の代名詞のようになった」と指摘されている。