著者
加藤 幸治
出版者
神奈川大学 国際常民文化研究機構
雑誌
国際常民文化研究叢書13 -戦前の渋沢水産史研究室の活動に関する調査研究- =International Center for Folk Culture Studies Monographs 13 -Research on the Activities of Shibusawa Fisheries History Laboratory in the Prewar Period- = International Center for Folk Culture Studies Monographs 13 -Research on the Activities of Shibusawa Fisheries History Laboratory in the Prewar Period-
巻号頁・発行日
vol.13, pp.57-193, 2019-02-25

アチック・ミューゼアムには、「未完の筌研究」として語られる研究がある。残存する筌研究にかんする基礎データの調査は、戦後の日本常民文化研究所に引き継がれ、筌研究会の枠組みで河岡武春らを中心とした追跡調査が行われた。今回の共同研究においては基礎データ類の翻刻作業や整理作業、標本資料の熟覧調査を行った。「未完の筌研究」関連資料には、戦前の調査の資料として、①通信調査による「筌調査資料」、②筌に関する通信調査の発受信簿、③筌の実物の標本資料、③地図化や分類を試みた下図や手紙、調査メモ等がある。今回の調査では、①の通信調査と、③の民具との関係を調査したが、そのふたつには結びつく要素が乏しいことがわかった。渋沢水産史研究室は、海を舞台とした漁撈にのみ焦点をあてていたのではなく、農山村における河川や湖沼での内水面漁撈や氷上漁撈なども対象に含んでいた。筌研究は、民具研究としての内容以上に、田や水路、池などで行われてきた内水面漁撈の調査の一環とも位置付けられる。 筌研究は、郵便を活用した通信調査(アンケート調査)による方言調査とその分析を中心としながら、構造や部位の数の違いによる形態分類と分布の調査、漁撈の対象や場所のバリエーションの把握を中心とした内容であった。通信調査は、アチック・ミューゼアムの特徴ある調査法のひとつであり、水産史研究の「鯨肉食通信調査」「鵜飼調査」にも適用された。筌の通信調査は、これに「民具蒐集調査要目」や「喜界島生活誌調査要目」のような項目立てによる比較研究のための「筌調査要目」を立てたうえで行われた。 本稿では、「未完の筌研究」で残された資料の整理作業から見えてきた、アチック・ミューゼアムの方法論的実験について紹介したい。
著者
安室 知
出版者
神奈川大学 国際常民文化研究機構
雑誌
国際常民文化研究叢書13 -戦前の渋沢水産史研究室の活動に関する調査研究- =International Center for Folk Culture Studies Monographs 13 -Research on the Activities of Shibusawa Fisheries History Laboratory in the Prewar Period- = International Center for Folk Culture Studies Monographs 13 -Research on the Activities of Shibusawa Fisheries History Laboratory in the Prewar Period-
巻号頁・発行日
vol.13, pp.203-213, 2019-02-25

研究者としての渋沢敬三は正当に評価されていない。それは渋沢の魚名研究に対する評価に端的に表れる。渋沢の場合、優れた研究者や技術伝承者を資金的にバックアップしたり、学問のハーモニアス・デヴェロップメントを推進するなど、研究のオルガナイザーとしての名声に比べると、彼自身がおこなった研究に関する学会の論評はあまりに貧弱といわざるをえない。渋沢はそれまで顧みられることのなかった民具や漁業史料といった常民の生活資料の学術的価値に着目するなど、すぐれた先見性はあるものの、研究者としての評価は第一次資料の発掘者・提供者に留まるもので、彼自身の研究はあくまで柳田民俗学(主流)を補完するもの(または傍流)という位置づけしかなされていない。それは、渋沢にとってもっとも精力を傾けたといってよい魚名研究が、きちんと民俗学・歴史学分野で評価されていないことに象徴される。 昭和戦前期、1930年代から40年代にかけておこなわれた渋沢の魚名研究は、生物分類の基礎たる同定(identification)に出発するもので、成長段階名への注目など新たな発想に富むものであった。また、同定への強いこだわりは同時期にやはり始動する民具研究にも当てはまることであった。そうした研究に対する渋沢の基本姿勢は、民俗学の主流たる柳田国男の語彙主義への暗黙の批判となっていた。さらには、1930年代、近代学問への黎明期にあった民俗学にとって、研究対象だけでなく、周圏論のような方法論についても再考を強く迫るものとなっていた。事実、渋沢にとって魚名研究の集大成といってよい『日本魚名集覧』が刊行されると、柳田は『蝸牛考』を改訂しそれまで民俗学において推し進めてきた周圏論の一般理論化を諦めている。このことは、渋沢の魚名研究が単に一次資料を発掘し記録するだけのものではなく、また柳田民俗学を補完するだけの存在ではなかったことを如実に物語っている。