著者
安室 知
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.181, pp.165-204, 2014-03

人は自然をいかに認識するか。また,その認識のあり方は,人と自然との関係のなかでどのような意味を持つのか。人が自然物を眺めるとき,その眼差しは多様である。そのなかでも分類と命名のあり方は,もっともストレートに人がいかに自然を認識し,また利用してきたかを表すことになろう。本論文は,古くから高い商品価値を持ち続ける貝=アワビに注目して,分類・命名のあり方とその変遷を通して民俗分類の持つ文化的意味を考察し,それが現代生活といかに関わるのかを明らかにすることを目的としている。一言でいえば,生活文化体系における民俗分類の存在意義を問うことである。「学名」や「標準和名」のような生物学的なレベルの命名体系とは別に,「地方名」がある。従来,民俗分類の研究ではこの地方名が分析対象とされてきた。しかし,魚が自然界から人の手に渡って以降,商品として流通する段階でも,実はさまざまに分類・命名がなされている。それが「市場名」と「商品名」である。これまで民俗分類の研究において市場名や商品名が注目されることはなかった。しかし,現代を射程に入れた民俗研究をおこなうとき経済活動の中でどのような論理のもと分類・命名され,消費者の段階に至るのかという問題は避けて通ることはできない。調査地の佐島(神奈川県横須賀市)では,通常,ケー(貝)というとアワビを指す。また,それはナミノコ→ケーという2段階の成長段階名を持つ。さらにケーはクロッケ,マタケェ,マルッケという3種に民俗分類される。この民俗分類は生物学に基づく種の分類と一致する。こうした佐島漁師におけるアワビの分類・命名のあり方は地域の生活文化体系を反映し,かつそれ自体を構成する主な要素でもあった。それに対して,漁業協同組合や市場における分類・命名のあり方は,市場名・商品名として示されることになる。市場名・商品名は伝統的な漁師の分類・命名のあり方を受け継ぎながらも,漁協の販売戦略,流通上の便宜,仲買側の要請また消費者の嗜好といったことを受けて商業性を強く反映したものに変化していく。そのときその変化は,商品として消費者に誤解のないよう,より汎用性のある分類・命名に統一される傾向にあった。しかし,それと同時にブランド化のような差別化を図るなど,分類・命名はより細分化・複雑化される傾向も認められることが分かった。How do people recognize nature? What does the recognition mean in the relationship between nature and man? People have diverse viewpoints when they see natural objects. Especially, how to classify and name them may show in the simplest way how people have recognized and exploited nature.This paper investigates the realities and changes of grouping and naming of natural objects, mainly abalone and a shellfish that has been regarded highly valuable for a long time, to examine the cultural meaning of folk taxonomy. Moreover, this study is aimed at revealing how they are related to the modern life. In one word, the objective of this study is to assess the significance of folk classification in life and cultural systems.In addition to biological names such as scientific names and standard Japanese names, there are regional names, on which the studies of folk taxonomy have focused. On the other hand, there are a variety of classifications and names used in the commercial distribution stage after fish are transferred from nature to man. They are regarded as market names or commercial names. Although the studies of folk taxonomy have paid little attention to them, investigating how fish are classified and named through economic activities by the time they are delivered to consumers is essential for the folklore studies that also cover modern times.In the research target area, Sajima (Yokosuka City, Kanagawa Prefecture), "kê (kai)" usually means abalone. It has two different names, naminoko and kê, according to its stage of growth. Moreover, according to folk taxonomy, kê is further classified into three types: kurokke, matakê, and marukke. This classification agrees with biological taxonomy.The grouping and naming of abalone by Sajima fishermen reflect their life and cultural systems as well as constitute them. On the other hand, the classification and naming by fisheries cooperatives and markets are used for market or commercial names. While following traditional classifications and names by fishermen, market and commercial names have been established after changes that clearly reflect commerciality such as sales strategies of fisheries cooperatives, convenience in the distribution system, needs of brokers, and preference of consumers. There has been a tendency that more versatile grouping and naming methods that are easy for consumers to understand can survive the changes. It is discovered, however, that at the same time, they also tend to become more fractionated and complicated for differentiation and branding purposes.
著者
安室 知
出版者
神奈川大学 国際常民文化研究機構
雑誌
国際常民文化研究叢書13 -戦前の渋沢水産史研究室の活動に関する調査研究- =International Center for Folk Culture Studies Monographs 13 -Research on the Activities of Shibusawa Fisheries History Laboratory in the Prewar Period- = International Center for Folk Culture Studies Monographs 13 -Research on the Activities of Shibusawa Fisheries History Laboratory in the Prewar Period-
巻号頁・発行日
vol.13, pp.203-213, 2019-02-25

研究者としての渋沢敬三は正当に評価されていない。それは渋沢の魚名研究に対する評価に端的に表れる。渋沢の場合、優れた研究者や技術伝承者を資金的にバックアップしたり、学問のハーモニアス・デヴェロップメントを推進するなど、研究のオルガナイザーとしての名声に比べると、彼自身がおこなった研究に関する学会の論評はあまりに貧弱といわざるをえない。渋沢はそれまで顧みられることのなかった民具や漁業史料といった常民の生活資料の学術的価値に着目するなど、すぐれた先見性はあるものの、研究者としての評価は第一次資料の発掘者・提供者に留まるもので、彼自身の研究はあくまで柳田民俗学(主流)を補完するもの(または傍流)という位置づけしかなされていない。それは、渋沢にとってもっとも精力を傾けたといってよい魚名研究が、きちんと民俗学・歴史学分野で評価されていないことに象徴される。 昭和戦前期、1930年代から40年代にかけておこなわれた渋沢の魚名研究は、生物分類の基礎たる同定(identification)に出発するもので、成長段階名への注目など新たな発想に富むものであった。また、同定への強いこだわりは同時期にやはり始動する民具研究にも当てはまることであった。そうした研究に対する渋沢の基本姿勢は、民俗学の主流たる柳田国男の語彙主義への暗黙の批判となっていた。さらには、1930年代、近代学問への黎明期にあった民俗学にとって、研究対象だけでなく、周圏論のような方法論についても再考を強く迫るものとなっていた。事実、渋沢にとって魚名研究の集大成といってよい『日本魚名集覧』が刊行されると、柳田は『蝸牛考』を改訂しそれまで民俗学において推し進めてきた周圏論の一般理論化を諦めている。このことは、渋沢の魚名研究が単に一次資料を発掘し記録するだけのものではなく、また柳田民俗学を補完するだけの存在ではなかったことを如実に物語っている。
著者
佐野 賢治 森 武麿 小熊 誠 内田 青蔵 安室 知 泉水 英計 森 幸一
出版者
神奈川大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2012-04-01

日系南米移民の生活世界の形成において本国の文化はどのような役割を果たし、また、新たな環境のもとでどのような変化を遂げたのか。本研究は、このような問いに対し、日本民俗学が東アジアで蓄積してきた知見と調査法をもって答える可能性を探求したものである。具体的な研究活動は、移民資料の現状確認に赴いたブラジル国サンパウロ州での2度の現地調査である。諸機関が収蔵する生活用具の保管状態を検分して登録記録を収集し、また、日系入植地を巡見して初期の入植者家屋や工場、宗教施設を見学しつつ古老の記憶の聞き書きをすすめた。その結果、本格的な調査研究を展開する適地としてレジストロ植民地が見出され、次期事業が策定された。
著者
西谷 大 篠原 徹 安室 知 篠原 徹 安室 知 梅崎 昌裕
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2008

伝統的な技術でおこなわれてきた農耕は、ある特定の生業に特化するのではなく、農耕、漁撈、狩猟、採集といった生業を複合的におこなうことに特徴があり、これが生態的な環境の多様で持続的な利用につながってきた。本研究では、中国・海南省の五指山地域と、雲南省紅河州金平県者米地域とりあげ、伝統農耕の実践と政府主導による開発、そして自然環境という3者を、動的なシステム(いきすぎた開発と環境の復元力)としてとらえ、その関係性の解明を目的とした。対象とする地域の現象は「エスノ・サイエンスによる伝統農耕と環境保全技術」「共同体意識と環境保全」「地域社会の交易とグローバルな市場経済の影響」など、アジア地域の環境問題を考える上で重要な視点を含んでいる。中国の急速な経済発展は、さまざまな社会的矛盾を生み出すだけなく、激しい環境破壊をもたらした。2006年から開始した第11次5カ年計画は、中国政府が推進している「小康社会(生活に多少ゆとりのある社会)」の達成に重要な役割を担うものと位置づけられている。特に経済を持続可能な成長モデルに転換するため循環型に切り替え、生態系の保護、省エネルギー、資源節約、環境にやさしい社会の建設を加速するといった環境政策の大変革をおこなおうとした。しかし昨今の中国の公害問題が意味するように、経済発展が至上目標であるという点はまったく変化がない。中国において地域社会を維持してきた特徴の一つとして市の存在がある。市を介して地域内で各家庭単位での参加と「小商い」が可能な、この市の存在こそが自給的な経済活動を維持してきた。そのことが環境保全や地域社会の生業経済を両立させることに結びついてきたと考えられる。環境保全と生業経済を両立させようとするならば、地域社会の生活と経済に深く結びついた市を維持、または復活させる必要があると考えられる。
著者
福田 アジオ 津田 良樹 安室 知 徳丸 亜木 菅 豊 中野 泰 安室 知 津田 良樹 菅 豊 徳丸 亜木 中野 泰 小熊 誠 向 雲駒 劉 暁路 馮 莉 陳 志勤 王 悟 崔 成志
出版者
神奈川大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2007

改革開放が進むなかで、打破すべき封建制の残津から保護すべき伝統文化へと、民俗文化の評価も大きく変わってきた状況下において、漸江省の西北部山間の2村落を対象に詳細な民俗誌を作成し、それを通して文化政策とその影響および地域の対応を実証的に検討した。4年間の調査によって、古鎮保護、非物質文化遺産保護という二つの動きが地域に与えている大きな影響、またその政策実施に対応するかたちで展開した地域の観光開発その他の動向と問題点を明らかにすることができた。