著者
住谷 裕文
出版者
大阪教育大学
雑誌
大阪教育大学紀要 第I部門 人文科学 (ISSN:03893448)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.27-47, 2012-02-29

第4回は1867年刊行の英文ガイド("The Treaty Ports of China and Japan")の横浜篇を扱う。横浜は開国後,江戸にもっとも近い港として,日本の発展に大きな役割を果たしてきた。横浜は開港にあわせて建設された居住地であり,1636年鎖国令下,ポルトガルとの交易のために築造された長崎の出島に似ていたため,外国人の中にはその二の舞になるのではと不安を覚える者も多かった。そうした中で外国人居留民と幕府,さらには明治政府とのねばりづよい交渉を通して,今日の横浜は形成されていった。横浜の発展は,日本の発展そのものを象徴し,また長崎とは違って,新しい日本を切り開く力はここからあふれ出た。 それと同時に,ガイドブックに記載はないが,つぎの事実にも我々は目を向けておかなければならない。横浜に真っ先に乗り込んできた商社の中に,ジャーディン・マセソン商会がある。これは中国のアヘン戦争を策動し,デント商会とともに中国のアヘン市場を独占した。日本の開港とともに長崎・横浜に進出し,横浜では居留地の一番館(英1番館)を占め,長崎では支店のグラヴァー商会が,薩摩・長州と深い関係を結ぶにいたっている。ハリスによって結ばれた修好通商条約によって,日本へのアヘンの輸入は封じられたが,こうしたことも頭に入れて,ガイドブックの中身を考えていかなければならない。ところで,町としての横浜には歴史がなく,ガイドブックの記述は生彩を欠く。それを補うように付け加えられているのが,鎌倉である。古都の京都・奈良の解説はサトウの1881年版の「中部北部日本案内」まで待たなければならないが,ヨーロッパ人旅行者が江戸に近いかつての首都鎌倉に見ていたものは,本ガイドブックにもよく感じられる。しかも横浜とセットになることで,不思議な魅力を醸し出している。構成から見ても,江戸篇の直前に鎌倉を置いているのは悪くない。 ところで「横浜篇」でもっとも我々の関心をひくのは,遊郭「岩亀楼」にかかわってフォーチューンが述べた,その言葉の引用であろう。日本についての本ガイドブックは,西欧文明が日本にそそぐまなざしそのものであり,その後のガイドブックとくらべて,学術的な厳密さを欠くとしても,観察者の率直な視線がつよく感じられる。なおこの遊郭と風呂の習慣についての指摘は,次回以降に考察を加えたい。The second chapter of this guidebook treats the most promising port of Japan, which finds itself within easy reach of Edo (the ancient Tokyo). There was no interesting historical monument here, except the ancient temples of Kamakura, a former political capital in its suburb. However, there was much trade. Many famous companies and banks in Asia rivaled one another to do business in this city, including Jardine Matheson & Co., Dent & Co., Walsh Hall & Co., etc. We will look at the development of exchange of the new occidental partner of East Asia through the growth of this newly built settlement.