- 著者
-
ミラー マービン
- 出版者
- 帯広畜産大学
- 雑誌
- 帯広畜産大学学術研究報告. 第II部, 人文・社会科学篇 (ISSN:03857735)
- 巻号頁・発行日
- vol.4, no.1, pp.60-78, 1973-03-30
現代活躍している文学作家あるいは現代劇作家たちの中に,よく宗教的テーマを取り上げている人がいることはたびたび指摘されている。ある時は聖書のイメージをそのまま借り,ある時は神学的用語を利用することもある。この論文の目的は,アメリカの一流劇作家のアーサー・ミラーが書いた「転落の後に」と,旧約聖書の創世記1章から4章までにでてくる人間の本質に関する教えやイメージを比較することにある。創世記にあるイメージのほとんどが主人公のクェンティンと彼の2番目の妻になったマギーとの間の会話に現われてくる。弁護士クェンティンが妻と娘の待つ家へ帰る途中,初めて彼女に会った時の彼の励ましのことばが彼女のために新しい生活の出発点になった。その結果,マギーは彼を神々のように見るようになった。ふたりの関係の進行と,創世記に記述されている誘惑の進行の中に,ほとんど同じ段階が見られる。つまり,どちらも哲学的レベルからしらずしらずに全く好色の誘惑へという段階を辿っている。結婚して間もなく,新しい妻マギーを憎むようになった原因は,自分の心の中の悪から生まれてきたものであることを彼は認めた。妻の死を望んでいることに気がついた時,自分は恐ろしい人間であることが初めてわかってきた。これは彼ひとりの問題ではなく,全人類が彼のように悪を持っていることがこの劇の重要点のひとつだと思う。「転落の後に」にある救いは,最後の場面に次のようにまとめて書かれてある。「人間とは危険な存在だと!-今でもぼくはこの世界をふたたび愛し,生きぬく確信をもっている。-やはり転落の後に,原罪を背負い,多くの死に当面した後に,真に知りうるのだ。-殺そうと思うことは殺すことではない。しかし,恵まれた勇気をもって,もしも現われ出るならば,それに立ち向うだろう。そして愛のきざしによって家族の邪魔者に対するように,これを許す。くり返し,くり返し,永遠にか?-」(アーサー・ミラー全集第III巻,226〜227ページ,菅原卓訳,早川書房)結論に至る過程の背景には,聖書的・神学的イメージが流れていると言える。その結論にも聖書の教えに似たような点が少なくともふたつある。ひとつは救いの希望,いまひとつは,人間の救いが実現されるために人間と神との協力が必要であることである。しかし,一方ではクェンティンが自分の悪の全責任を負って,自分の力でその人間性の醜さを絶えず許すという決心がでてくるが,聖書による救いとは程遠い。悪の問題の最終的解決は,人間の外側からでないと不可能であることを聖書は絶えず教えている。すなわち,全人類の救いは神から(つまり,人間の外側からきた)イエス・キリストを通してしか得られないと聖書は主張するが,クェンティンによる解決はこれと全く対照をなしている。