著者
内野 尚美
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2007年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.42, 2007 (Released:2007-11-16)

かつて日本各地には,主に農業利用のための半自然草原が多く見られた.これらの多くは,利用価値の低下に伴って,他の土地利用へと変換されたり,放棄されたままの状態になった.箱根山では,外輪山や中央火口丘山頂部にササ原が存在する.当地域は,外輪山を中心に入会地として利用されてきた地域である.本研究は,箱根山周辺におけるササ原が,今後遷移が進み森林へと変化するかどうかを推定することを目的とする. 本研究では,箱根山周辺の植生変化の概要を把握するために,明治期に大日本帝国陸地測量部から発行された地形図と,現在国土地理院から発行されている地形図の地図記号を判読して比較した.さらに,植生の現状を詳細に把握するため,野外においてササ原とこれに隣接する森林内にそれぞれ複数の方形区を設定した.そして,枠内に出現する植生の調査を行った. 箱根山の植生は,大部分が二次的なものである.山麓部ではコナラ,ケヤキ等が成育し,山頂部に近づくにつれてリョウブ,アセビ,アブラチャン,ニシキウツギなどに変化する.神山,金時山,三国山,台ヶ岳にはブナ林が存在する.これらのブナ林は,林床にスズタケを伴う太平洋型ブナ林の特徴を示している.また,外輪山外側を中心にスギ,ヒノキの植林地が大きな面積を占めている.箱根山周辺における主なササ原は,矢倉沢峠から明神ヶ岳を経て明星ヶ岳にかけての範囲,外輪山南向き斜面,湖尻峠付近,駒ケ岳山頂部等に存在する.ササ原を構成する種は,大部分がハコネダケであるが,標高1000 mを超えるとハコネメダケとなる.また,外輪山南向き斜面では,イブキザサ,ミヤマクマザサとなる.森林内では,ハコネダケに変わりスズタケが多く見られるようになる.しかし,基盤岩や礫が露出するような土壌の薄い地域では,ササは存在しない. 明治時代の地形図を見ると,外輪山のほとんどの地域が荒地や竹林の記号となっている.広葉樹林の記号が存在する地域は神山,駒ケ岳などの中央火口丘と,文庫山,三国山及び山麓部である.針葉樹は山麓部を中心に存在する.現在の地形図では,外輪山を中心に広い範囲を針葉樹が占め,明治期に荒地や竹林の記号であったところのほとんどが針葉樹となっている.これらの大部分は植林によるものと考えられる. 野外調査の結果,共に外輪山東向き斜面に位置する湖尻峠と三国山を比較すると,湖尻峠はササ原であり,三国山はブナ林であるという相違が見られた.湖尻峠は現在財産区であり,かつては入会地であった地域である.このことから,湖尻峠も本来は三国山のようなブナ林であったが,草地として利用された後に,ササ原となったと考えられる. 以上の結果から,箱根山周辺におけるササ原は,かつて入会地として利用されていた場所に成立していることは明らかである.入会地の大部分は植林されたが,土地条件が悪いため植林できなかった地域や,入会地での利用が近年まで続いた地域はササ原となったと考えられる.森林化が進まない要因として,ササの被圧が挙げられる.また,ササ原は南東向き斜面に多く存在していることから,南東からの強風により森林化が阻害されていると考えられる.
著者
久保 純子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2007年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.94, 2007 (Released:2007-11-16)

■研究目的・方法 メコン川下流部(カンボジア平野)の微地形区分を行うとともに、洪水水位、土地利用、水利用特性などの地域性をとらえ、微地形区分を基本とした土地の統合的理解をめざした。 対象地域はプノンペン付近を中心に、空中写真判読とフィールド調査をもとに、ききとり等も一部で行った。 ■水位変化と稲作システム メコン川下流(カンボジア)平野ではモンスーン気候下にあり、メコン川の水位は雨季と乾季で10 m近く変動する。 カンボジアにおける伝統的な稲作システムは、1)天水陸稲、2)天水水田稲作、3)減水期(乾季)稲作、4)浮稲の4つに区分されるが、メコン川平野では2)3)4)がみられる。灌漑施設は少なく天水田が卓越し、収穫は通常年1回である。メコン川氾濫原やトンレサップ湖周辺ではしばしば稲刈りと田植えが隣接して見られるが、二期作はほとんど行われておらず、水位の微小な変化に従って減水期稲作が行われている。 ■対象地域の微地形 プノンペン付近ではメコン川、トンレサップ川、バサック川が交差して「チャトムック(四面)」と呼ばれている。 氾濫原部分は支川の緩勾配扇状地と台地に囲まれる。北西からトンレサップ川がメコン川に流入し(雨季はメコン川から逆流する)、平野北東からメコン川が流下し、チャトムックジャンクションを形成する。下流側はメコンの派川バサック川が南へ、メコン川は南東へ流下する。メコン川本流沿いには小規模な自然堤防がみられる。 氾濫原は河川沿いの低湿な部分と、やや高燥な「高位沖積面」に区分される。 ■緩扇状地、台地上の土地利用・水利用 雨季に天水水田稲作が行われる。小規模なため池が数多く作られる。水が得にくいため、「ポルポト水路」が現在も各地で利用されている。 ■メコン川などに沿う自然堤防地帯 自然堤防上は道路や集落が立地する。メコン川派川のバサック川沿いには「コルマタージュ」と呼ばれる流水客土のための水路が放射状につくられ、水路の周囲はシルトが堆積して人工の微高地が拡大し、畑作が行われている。 ■高位沖積面とメコン川沿い氾濫原 川沿いの氾濫原では雨季は湛水のため一部の浮稲のほかは耕作が行われない。高位沖積面との境界部では、微高地を縁取るように「トンノップ」と呼ばれる小規模な堤防を作り水をため、減水期稲作に利用される。 高位沖積面は大規模洪水時には浸水する。 ■微地形、洪水、土地利用 メコン川下流平野では、雨季と乾季の水位変動が大きく、川沿いの氾濫原では雨季のあいだ広い範囲が湛水する。このため、氾濫原の微地形条件に対応して湛水の状況が異なり、それぞれに対応した稲作システムが採用されている。 台地や扇状地上では夏季の天水に依存した稲作が行われる。バサック川沿いは流水客土(コルマタージュ)による耕地造成が明瞭である。氾濫原低地をとりまくように減水期稲作が行われ、これは雨季終了時の水位低下に従って移動する。氾濫原低地はもっとも長く湛水し、多くが湿地である。この部分は雨季の洪水流路でもある。これらは微地形ごとの水位変化に対応した持続的システムといえる。
著者
助重 雄久
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2007年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.112, 2007 (Released:2007-11-16)

I はじめに 政府は訪日外国人によるインバウンド観光を内需拡大や地域振興につながる重要課題と位置づけ、2002年に「グローバル観光戦略」を策定した。2003年4月には「ビジット・ジャパン・キャンペーン」が開始され、外国人誘致に向けたさまざまな取り組みが進められている。 こうしたなかで、長崎県対馬では釜山との間に国際定期航路が開設されたのを機に、多数の韓国人旅行者が来訪するようになり、韓国人を積極的に受け入れる宿泊施設や韓国資本経営のホテルもみられるようになった。一方で、韓国人旅行者をめぐるトラブルも起きており、韓国人に対する不信感を募らせる島民も少なくない。本報告では対馬におけるインバウンド観光の展開について考察するとともに、受け入れにあたっての課題も検討する。 II 韓国人旅行者の受け入れに向けた取り組み 1.定期国際航路の開設 対馬では1990年代から韓国との定期国際航路の開設が模索され、1997年には博多-釜山を結ぶ「ビートル2世号」の臨時寄港が実現した。1999年には高速船が厳原-釜山に不定期就航し2000年には定期運航となった。また2001年からは厳原港と比田勝港に交互入港するようになった。 定期国際航路の利用者は2000年には17,438人であったが、2006年には86,852人(うち韓国人は83,878人)となった。厳原港と比田勝港の外国人出入国者数の合計は全国の港湾・空港のなかで第14位に相当し、長崎港や福岡以外の九州内各空港をも上回った。 2.行政・観光物産協会による受け入れ体制の整備 旧上県・美津島・厳原の3町が招いた韓国人の国際交流員は文書の翻訳や通訳、韓国語講座の講師等で活躍してきた。対馬市や対馬観光物産協会は、外国語表記の道路標識や観光案内標識の設置やデザインの統一、韓国語版観光パンフレットの作成に力を入れてきた。標識は日本語・韓国語・英語・中国語で表記され、観光地の紹介文は日本文の内容をそのまま各国語に訳して外国人旅行者にも日本人旅行者と同じ情報量を提供できるよう配慮した。またパンフレットも日本語版と同じ仕様で同等の情報量を提供できるようにした。 III 宿泊施設における受け入れの現況 宿泊施設38軒を対象とした聞き取り調査によれば、受け入れ経験がある施設は30軒あったが、うち8軒は韓国人とのトラブルを機に受け入れをやめていた。また、14軒は個人や小グループのみを受け入れ、団体は断っていた。受け入れに消極的な施設は概して小規模で、日本人常連客に配慮して受け入れを断る場合が多くみられた。 韓国人を受け入れている施設は厳原市街や美津島町南部(下島)に集中していた。これらの地域では宿泊施設だけでなく周辺の飲食店、大型スーパー等にも経済効果が及んでいる。いっぽう、厳原や美津島から離れた地域では拒否反応が強かった。とくに比田勝港周辺は受け入れに難色を示す宿泊施設が目立った。比田勝港で入出国する韓国人旅行者は、厳原のホテルの送迎バスを利用し比田勝港周辺の飲食店や土産店等には立ち寄らないため、比田勝港周辺への経済効果は非常に小さい。 IV 受け入れにあたっての課題 宿泊施設が受け入れに難色を示す原因としては「臭い」、「料金面で折り合わない」、「ゴミをちらかす」、「直前にキャンセルする」、「トイレの使い方が異なる」、「日本人に迷惑をかける」などがあげられた。これらは食文化や入浴習慣の違い、キャンセル料支払い慣習の有無など、社会的慣習の違いに起因するものも多い。インバウンド観光では国による慣習の違いが受け入れの障壁となることも多い。 近年、対馬では韓国人釣り客によるまき餌が問題となり、島内漁民の反発が強まった。しかし、多くの釣り客は外国人のまき餌を禁止する法律を知らないため不満が増大している。韓国人釣り客の足は対馬から遠のきつつあり、浅茅湾周辺の民宿経営に悪影響を及ぼしはじめている。 また、近年は釜山の免税店で免税の適用を受ける目的で対馬に日帰りする韓国人旅行者が増えてきた。日帰り旅行者の増加は厳原市街の宿泊施設や飲食店にも深刻な打撃を与えかねない。 対馬市は平成15年度の財政力指数が全国の市で2番目に低かった。歳入は少子高齢化や人口減少、既存産業の不振、日本人旅行者の伸び悩みで増加が見込めず、韓国人旅行者がもたらす収入が歳入増加に結びつく唯一の手段といってもよい。両国の社会的慣習の違いを理解しあい、島民と韓国人旅行者の双方がストレスを感じない受け入れのあり方を見直す時期がきているといえよう。
著者
呉羽 正昭
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2007年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.123, 2007 (Released:2007-11-16)

1.はじめに 日本におけるスキーの本格的移入は1911年のことである。当初,スキーは登山の手段やスポーツ競技として捉えられていた。しかしその後,レクリエーションとしてのスキー,いわゆるゲレンデスキーが発達し,1950年頃には本格的なスキー場開発が開始された。この当時は温泉地におけるスキー場開発が主体であったが,その後,農村や非居住空間へとスキー場開発が拡大した。 1980年代初頭から1990年代初頭にかけては,リゾート開発ブームとも連動し,スキー場開発は急激に大規模化した。輸送能力の高い索道が設置され,洋風レストラン・ホテルも整備された。ゲレンデでは,地形改変,人工降雪機や雪上車の導入によって快適な滑走コースがつくられた。また少積雪地域への開発もなされた。多分野からなる大都市からの資本が,こうした大量の開発に対して資本投下を行った。当時のスキー人口の急激な増加も,開発を進行させる基盤となった。 しかし,1993年頃以降,スキー人口は急激な減少を示すようになった。同時に,新規のスキー場開発は著しく減少し,また既存スキー場においても,施設の更新などがほとんど行われなくなった。さらに,スキー場の経営会社の倒産,それに伴う経営変更,スキー場自体の休業や廃業が目立ってきている。本研究では,現在の日本のスキー場に関するこうした諸問題について明らかにするとともに,空間的な側面から考察を加えたい。 分析に用いた資料は,国土交通省(旧運輸省)が監修する『鉄道要覧』(年刊)と,朝日新聞,日本経済新聞などの新聞記事である。さらに,業界誌なども参考にした。 2.スキー場開発の停滞 2003年までに,日本では約680か所のスキー場が開発されてきた。しかし,1994年以降に新規開発されたスキー場数は50以下である。これは,1980年から1993年に,230か所あまりのスキー場が誕生した事実と対照的である。また,既存のスキー場においても,1994年以降,新規にスキーリフトを設置し,拡大がなされた例はほとんどない。このように,近年の日本では,スキー場開発の停滞が顕著にみられるのである。この傾向は,主としてスキー人口の減少に基づいていると考えられる。『レジャー白書』によると,日本のスキー人口は,1993年に約1,800万人とピークを迎えたものの,現在ではその半数程度に減少している。スキーリフトの輸送人員の推移をみても,減少が著しい。その結果,スキー場経営に大きな問題が生じてきた。 3.スキー場経営の主体変更 スキー場経営の主体は索道事業であるが,スキー客数が減少した結果,日本のほとんどのスキー場では経営悪化に陥っている。バブル期の多額投資もこれに大きく影響している。こうした傾向下,1997年頃以降は,第3セクター形態の経営会社から大都市資本が撤退する例が目立っている。さらに,索道事業者の倒産もみられるようになってきた。北海道のトマム,福島県のアルツ磐梯,群馬県の川場などはその典型例である。これらの結果,索道事業者の変更が頻繁になされている。その形態はさまざまであるが,代表的なものとしては,第1に,一部の企業が問題あるスキーリゾートを複数買収し,経営する例が増えている。これには,「東急」グループ,北海道に拠点をおく「加森観光」,軽井沢に拠点のある「星野リゾート」などが該当する。第2に,外資系の投資会社によるスキー場買収が増えつつある。第3に,スキー場の再生を専門に行うコンサルタントが経営に参入するようになった。第4に,スキー場の存続を要望する市町村や住民団体による運営も存在する。こうしたスキー場経営の主体変更は,日本の全スキー場の半数程度でみられる現象である。 4.スキー場の閉鎖 スキー場の経営悪化は,その休業や閉鎖にまで至る場合もあり,2007年では,その数は100か所を超えている。とくに,小規模スキー場の廃業が目立っている。たとえば,北海道では市町村がスキー場開発をする場合が多かったが,現在までに20か所近くが廃業されている。いずれの場合も,スキー場経営による赤字が,緊迫する市町村財政を圧迫した結果である。また,西武鉄道系の開発会社「コクド」は,これまでの経営方針の変更を余儀なくされ,2007/08シーズンには同社のグループが経営する複数のスキー場の廃業がすでに決まっている。 本報告では,現在のスキー場に関するこうした諸問題を整理するとともに,それらの地域的傾向に注目し,さらには今後の展望も含めて紹介する。