著者
助重 雄久
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b> <b>Ⅰ はじめに<br></b></b> 高度経済成長期以降、多くの島々では進学や就職を契機に島を離れる若年層が増加し、人口の再生産が困難となった。この結果、幼年人口が減少して小・中学校が統廃合され、産業の担い手がいなくなり、島の経済がしだいに脆弱化する、という道のりを歩んできた。<br> このような状況のなかで、いくつかの島々では児童・生徒の民泊受け入れや、地域住民と大学生との交流促進、若年層の国内移住(UIJターン)等の事業を積極的に推進し、島外から来た「若い力」を活かして活性化を図ろうとする動きがみられるようになった。こうした取り組みは、全国の農山漁村でも実施されており横並び感もあるが、島特有の地域性を活かした特色ある取り組みを進めた結果、島に来た若者たちが活性化に関与するようになった事例も見られる。本報告ではこうした事例の考察を交えながら、「若い力」を活かした島の活性化とその課題について論じる。<b> <br> <b>Ⅱ 体験交流型民泊による将来の「若い力」の養成<br></b> </b>山口県周防大島町では2008年に体験交流型観光推進協議会を立ち上げ、体験型修学旅行の受け入れを始めた。協議会では、瀬戸内海における漁業体験やみかん畑での農業体験等の体験交流プログラムを多数用意したが、主眼は体験よりも島民との交流に置き、体験者を「また島の人たちに会いたい」という気持ちにさせるよう気を配っている。<br> 実際、民泊体験者が後日、民泊先の家族を慕って再訪するケースが増えており、中学生のなかには、山口県立大島高校への進学を希望する者も現れた。体験交流型の民泊は高校生以下が対象であるため、体験者がすぐに地域再生の担い手にはならないが、短期的には体験者が再訪することで交流人口の拡大につながる。また、長期的にみれば、島に移住し島を支える人材が育つ可能性を秘めている。<br><b><b>Ⅲ 大学生・大学院生の学びの場としての島づくり<br></b> </b>長崎県対馬市では、韓国人観光客の増加とは裏腹に、少子高齢化や人口減少が加速し、集落機能や相互扶助による地域行事や作業等の継続が困難になってきた。こうした状況下で、対馬市は島外から住民とともに意欲的に活動してくれる人材を集めて、「人口の量」よりも「人口の質」を高める方向性を打ち出した。 <br> 2010年には総務省が制度化した「地域おこし協力隊制度」を利用して専門知識をもつ若者を募り、2013年までに8名の隊員が着任した。隊員はそれぞれの専門知識を活かして、ツシマヤマネコをはじめとする生物多様性の保全、デザイン力による島の魅力創出、ネットやイベントを通したファンづくり等の社会活動に従事している。<br> また、対馬は九学会連合や宮本常一の研究フィールドにもなり、多くの学問分野にとって学術的価値が高い島である。このため、学生や若い研究者に研究環境を提供すると同時に、島づくりにも参画してもらうことを目指している。2012年には「島おこし実践塾」が上県町志多留集落で開設され、全国から集まった学生や社会人が住民とともに地域再生活動に従事しはじめた。2013年からは「総務省域学連携地域活力創出モデル実証事業」の採択を受け、インターンシップや学術研究で滞在する学生や研究者の受け入れを行っている。<br><b><b>Ⅳ 島への移住者の役割と「定住」に向けた課題<br></b></b> 対馬の域学連携事業で学生たちのリーダー的役割を果たしている一般社団法人MITのメンバーは、移住してきた若手の生態学者や環境コンサルタント、国土交通省元職員等であり、島外からきた「若い力」が、さらに「若い力」を育てながら活性化に取り組むしくみが着実に根付きつつある。また、助重(2014)で報告した周防大島への移住者の多くも、前述の体験交流プログラムにも参画しており、ここでも「若い力」が「若い力」を育てる役割を果たしている。<br> ここにあげた移住者の多くはモラトリアム的な移住ではなく「定住」を目指している。島に来てから結婚した人や、安心・安全な環境下で子育てがしたくて家族ぐるみで移住した人も少なくない。また、島内で起業したり地域産業の再生に取り組んだりして、生計を立てようと努力している。<br> しかし、都市部から転入した若い移住者のほとんどは、都市での生活への未練もあり、極端に生活水準が低下すると島での生活にストレスを感じるようになる。 移住者が真の定住者として島の活性化の一翼を担うようになるためには、ここにあげた交流事業への参画を促すだけでなく、子どもの教育環境の整備や、物品購入のためのインターネット環境整備等、生活インフラの整備も進めて、ある程度の生活水準を確保することも重要といえよう。
著者
助重 雄久
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

<b>Ⅰ 本報告の背景とねらい</b><br>少子高齢化に悩む多くの市町村は、他地域からの移住者を定住させる取り組みを重要施策として掲げ、移住説明会や移住体験会等を実施する市町村も増えてきた。しかし、農山村地域に移転・定住した人々の多くは、定年者や早期退職者であり、地域産業の担い手育成や人口の再生産には結びつかない。一方、子育て中あるいはこれから子育てをする若年層の移住は、満足のいく住まいや保育・教育施設、就業先がみつからないことが障害となって、なかなか進まない。こうしたなかで、全国有数の高齢化である山口県大島郡周防大島町では、「周防大島町定住促進協議会」を発足させて、官民が一体となって受け入れ体制を整えており、2012~13年には2年連続で社会増となった。本報告では、若年層の移住者への聞き取り調査をもとに、移住に至るまでの経緯や、移住者が挑戦しているさまざまな取り組み、島における移住者の役割について考察した。<br><b>Ⅱ 移住前の状況と移住の動機</b><br>聞き取り対象者10名のうち6名は親戚や妻の父か母が周防大島の出身者であり、その他は新規就農者フェアや島づくりのためのイベントで周防大島出身者と知り合ったのが島を知るきっかけであった。移住の動機は全員が移住後に従事している職業をしたいためであった。また関東圏から移住した2名は東日本大震災後に放射能の影響を受けない地域で子どもを育てたいことが、移住を急ぐ動機となった。東日本大震災以降はこうした「放射能避難民」が急増しており、社会増をもたらした一因にもなっている。<br><b>Ⅲ 住まいの確保と移住後の就業状況</b><br>移住後の住まいは、親類や親がいる場合、それらの所有物件や、親類や親の知り合いが所有している家屋であった。その他は、島の知り合いか定住促進協議会の仲介で、空き家を探して住んでいた。移住後の職業は農業が4名、漁業が1名、養蜂業が2名、設計士+ジェラート専門店1名、ジャム専門店1名、ポータルサイト運営者+観光協会1名であった。農業をしている4名のうち、2名は農学部出身者で農業に関する知識があったが、他の2名の前職はイベントプランナーとミュージシャンで、農業経験はなかった。農業以外に従事している6名の前職は旅行会社社長、CM制作者、ホテルマン、設計士、電力会社社員、情報通信関係企業の社員で、設計士以外は前職と無関係であったが、養蜂業の2名は退職後に農家や父親の養蜂業の手伝いをした経験があった。<br><b>Ⅳ 島の産業再生に寄与する移住者</b><br>今回対象とした移住者全員が、インターネットを島での生活や仕事にとって欠かせないツールと考えていた。業務上では①島で入手しにくい業務用資材の購入、②生産技術や市況等の情報収集、③独自の生産方法や商品のPR、生活上では①島にない生活雑貨等の購入、②島で安く入手できない商品の購入に多用されていた。 しかし、大部分がネットで物を販売するには否定的であった。彼らは、島の恵みを活かした農産物、ジャム、ジェラートを作りたい、移住時から今日に至るまで世話になっている島民と共に歩みたい、という思いが強い。このため、生産物も可能なかぎり島内のチャレンジショップや「道の駅」、近隣の有機農産物販売店等で売り、訪れる観光客に周防大島の良さを伝えたいと考えている。また、農業や養蜂業に従事している移住者は、耕作放棄地や遊休地も活用して有機農業や観光農園等に取り組んでおり、地域産業の再生にも寄与する存在になりつつあるといってよい。
著者
助重 雄久 佐竹 里菜
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

Ⅰ 本報告の背景とねらい<BR> 歴史都市を散策する「まち歩き観光」は、古くから老若男女を問わず人気を博してきた。近年では、従来「まち歩き観光」が盛んでなかった地域でも、地域資源を巡るまち歩きによって誘客を図ろうとする動きが広がっている。またインバウンドの促進により、まち歩きをする外国人も増加してきた。<BR> 「まち歩き観光」で求められるのが、散策コースや観光スポットの位置を人々にわかりやすく知らせる観光案内である。「まち歩き観光」を推進する自治体等のなかには、街頭にある観光案内図の整備に力を入れるところも増えてきた。しかし観光案内図のなかには、地図表現に問題があるなど、観光客に的確に情報を伝える役割を果たさないものも目立つ。<BR> 本研究では、街角に設置する観光案内サインの整備に力を入れてきた金沢市と京都市の事例を中心に、観光案内図の問題点とその改善に向けた取り組みを考察し、観光客にとって「わかりやすい観光案内図」に求められる要件を探った。<BR><BR>Ⅱ 金沢市における観光案内サインの整備と問題点<BR> 金沢市は従来、観光案内図や市街図等を課ごとに作成しており、デザインもスケールも不統一であった。また、地図の更新は行っていなかったため、情報が古い地図や汚損した地図も多く、観光客から多くの苦情が寄せられていた。<BR> こうした状況を憂慮した金沢市では、2008年から観光客にもわかりやすい案内図づくりの指針を定め、地図や矢印サイン、歴史説明板等のピクト、文字の大きさや書式、色彩、図面サイズ、地上高等の統一を図った。地図はどこに設置する場合でも正面に見ている方角が上になるようし、表示範囲も観光客が徒歩で行ける範囲を考慮して1km四方とした。<BR> 金沢市は、同時に地図に掲載する情報やマスターマップを課ごとに管理する「縦割り方式」をやめ、景観政策課がとりまとめるようにした。景観政策課では各課から集まった地形・道路・観光地等の情報を収集し、それらをマスターマップ上に盛り込んで地図を作成する。地図は汚損や情報変更の有無に関係なく2年に1度定期更新する。<BR> 本研究では、金沢市が設置した地図が観光客にとって本当にわかりやすいのかを検証するため、観光客100名に聞き取り調査を実施した。また、兼六園下から兼六園に向かう紺屋坂に設置された3枚の観光案内図を観光客の動線上のあらゆる方向から撮影し、見やすさを検証した。<BR> ヒアリング調査の結果、地図の色彩、表示情報、見ている方角を上にした点、目線からみた高さについては大部分の観光客が「わかりやすい」と評価していた。一方、表示範囲に関しては半数の観光客が「他の観光地や駅の位置がわからない」、「広域案内図が必要」と回答した。<BR> また、撮影した写真の分析からは、①案内図の裏側が空白であるため、後方からは地図だと気づかない、②側方から見ると、地図の表示面はまったく見えない、③市以外が設置した案内板や周辺の木々に囲まれ、案内板が観光客の目線に入らない、といった問題点が明らかになった。<BR><BR>Ⅲ 観光客の行動や目線を考えた京都市の観光案内サインアップグレード<BR> 京都市街地は道路が直交していて交差点に特徴がないため、現在位置が把握しにくいことが指摘されていた。また、既存の観光案内図は地名等を4カ国語で表記した結果、寺社等が密集する地域では地図が文字で埋まってしまい、肝心の目的地がわからない状態となっていた。<BR> 京都市ではこうした問題を解消するため、「シンプルで、わかりやすく、京都の町並みに調和した」観光案内サインの設置を検討すべく、平成22年度に「観光案内標識アップグレード検討委員会」を設置した。平成23年度末からは、委員会で策定したガイドラインに基づいた観光案内サインの設置が進められている。観光案内図を含む観光案内板は、日本語と英語のみで観光地や通り名・建物名等を表記するシンプルなデザインに変更された。案内板から徒歩で行ける観光地までの所要時間も表示した。<BR> また、金沢市の案内図に関して指摘した諸問題も、a.遠い観光地間までの移動は徒歩でなく公共交通機関を使うと考え、市内の地下鉄・鉄道路線図を案内図の下に入れる、b.目線に入りやすい地下鉄の出口正面や横断歩道横に設置する、c.案内板の面と垂直方向に「iマーク」を表示して、側方からくる人にも一目で案内板の存在がわかるようにする、d.案内板の裏面に巨大な矢印表示を配置することで、反対側の歩道から横断歩道を渡ってくる人にも一目で案内版だとわかるようにする、といった配慮をすることで解決している。今後観光案内図を設置する地域においても、京都市のように観光客の行動や目線を考慮した案内図づくりが必要といえよう。
著者
助重 雄久
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2007年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.112, 2007 (Released:2007-11-16)

I はじめに 政府は訪日外国人によるインバウンド観光を内需拡大や地域振興につながる重要課題と位置づけ、2002年に「グローバル観光戦略」を策定した。2003年4月には「ビジット・ジャパン・キャンペーン」が開始され、外国人誘致に向けたさまざまな取り組みが進められている。 こうしたなかで、長崎県対馬では釜山との間に国際定期航路が開設されたのを機に、多数の韓国人旅行者が来訪するようになり、韓国人を積極的に受け入れる宿泊施設や韓国資本経営のホテルもみられるようになった。一方で、韓国人旅行者をめぐるトラブルも起きており、韓国人に対する不信感を募らせる島民も少なくない。本報告では対馬におけるインバウンド観光の展開について考察するとともに、受け入れにあたっての課題も検討する。 II 韓国人旅行者の受け入れに向けた取り組み 1.定期国際航路の開設 対馬では1990年代から韓国との定期国際航路の開設が模索され、1997年には博多-釜山を結ぶ「ビートル2世号」の臨時寄港が実現した。1999年には高速船が厳原-釜山に不定期就航し2000年には定期運航となった。また2001年からは厳原港と比田勝港に交互入港するようになった。 定期国際航路の利用者は2000年には17,438人であったが、2006年には86,852人(うち韓国人は83,878人)となった。厳原港と比田勝港の外国人出入国者数の合計は全国の港湾・空港のなかで第14位に相当し、長崎港や福岡以外の九州内各空港をも上回った。 2.行政・観光物産協会による受け入れ体制の整備 旧上県・美津島・厳原の3町が招いた韓国人の国際交流員は文書の翻訳や通訳、韓国語講座の講師等で活躍してきた。対馬市や対馬観光物産協会は、外国語表記の道路標識や観光案内標識の設置やデザインの統一、韓国語版観光パンフレットの作成に力を入れてきた。標識は日本語・韓国語・英語・中国語で表記され、観光地の紹介文は日本文の内容をそのまま各国語に訳して外国人旅行者にも日本人旅行者と同じ情報量を提供できるよう配慮した。またパンフレットも日本語版と同じ仕様で同等の情報量を提供できるようにした。 III 宿泊施設における受け入れの現況 宿泊施設38軒を対象とした聞き取り調査によれば、受け入れ経験がある施設は30軒あったが、うち8軒は韓国人とのトラブルを機に受け入れをやめていた。また、14軒は個人や小グループのみを受け入れ、団体は断っていた。受け入れに消極的な施設は概して小規模で、日本人常連客に配慮して受け入れを断る場合が多くみられた。 韓国人を受け入れている施設は厳原市街や美津島町南部(下島)に集中していた。これらの地域では宿泊施設だけでなく周辺の飲食店、大型スーパー等にも経済効果が及んでいる。いっぽう、厳原や美津島から離れた地域では拒否反応が強かった。とくに比田勝港周辺は受け入れに難色を示す宿泊施設が目立った。比田勝港で入出国する韓国人旅行者は、厳原のホテルの送迎バスを利用し比田勝港周辺の飲食店や土産店等には立ち寄らないため、比田勝港周辺への経済効果は非常に小さい。 IV 受け入れにあたっての課題 宿泊施設が受け入れに難色を示す原因としては「臭い」、「料金面で折り合わない」、「ゴミをちらかす」、「直前にキャンセルする」、「トイレの使い方が異なる」、「日本人に迷惑をかける」などがあげられた。これらは食文化や入浴習慣の違い、キャンセル料支払い慣習の有無など、社会的慣習の違いに起因するものも多い。インバウンド観光では国による慣習の違いが受け入れの障壁となることも多い。 近年、対馬では韓国人釣り客によるまき餌が問題となり、島内漁民の反発が強まった。しかし、多くの釣り客は外国人のまき餌を禁止する法律を知らないため不満が増大している。韓国人釣り客の足は対馬から遠のきつつあり、浅茅湾周辺の民宿経営に悪影響を及ぼしはじめている。 また、近年は釜山の免税店で免税の適用を受ける目的で対馬に日帰りする韓国人旅行者が増えてきた。日帰り旅行者の増加は厳原市街の宿泊施設や飲食店にも深刻な打撃を与えかねない。 対馬市は平成15年度の財政力指数が全国の市で2番目に低かった。歳入は少子高齢化や人口減少、既存産業の不振、日本人旅行者の伸び悩みで増加が見込めず、韓国人旅行者がもたらす収入が歳入増加に結びつく唯一の手段といってもよい。両国の社会的慣習の違いを理解しあい、島民と韓国人旅行者の双方がストレスを感じない受け入れのあり方を見直す時期がきているといえよう。
著者
助重 雄久
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

インターネットの普及は、観光客による航空券・宿泊等の予約、旅行情報の収集や、観光施設のPR活動に大きな変化をもたらした。離島の場合、観光関係者が観光客の発地に出向いてPRを行うには多額の費用がかかるため、従来のPRは離島情報誌、パンフレット等の紙媒体や口コミに大きく依存していた。しかし、インターネットの普及後は観光施設の独自Webサイトや大手旅行予約サイト等を通して発地にいる不特定多数の観光客に情報を迅速に伝えることが可能となり、情報の質・量も飛躍的に向上した。<br> 助重(2010)では、沖縄県宮古島の小規模宿泊施設へのヒアリングをもとに、インターネットの普及が小規模宿泊施設の急増をもたらした要因の一つであることを解明したが、観光客による旅行予約や情報収集の実態には言及しなかった。また、2010年以降はfacebook等のSNSやスマートフォンの急速な普及により、Webサイトのあり方や閲覧方法が大きく変化しており、宿泊施設のインターネットの利活用にも変化が生じているものと考えられる。<br> 本報告では上記の点をふまえ、観光客による旅行予約や情報収集の実態を宮古空港等で行ったアンケートをもとに分析する。また、2010年以降のインターネット環境の変化が小規模宿泊施設の経営にどんな影響を及ぼしたのかを、助重(2010)の調査対象施設への再調査をもとに考察し、離島を巡る「島旅」の変化の一端を明らかにする。<br><b>Ⅱ 観光客による旅行予約と旅行情報収集の実態<br></b><u>1.航空券の予約</u><br> 調査対象者180名中86名(47.8%)が旅行会社や航空会社のパックツアーを利用しており、うち44名が旅行会社・航空会社のWebサイトで予約していた。一方、旅行の手配をすべて個人で行った観光客は62名(34.4%)いたが、うち50名が航空券を航空会社等のWebサイトで予約していた。<br> 宮古島では先島航路の旅客輸送全廃(2008年)に伴い、島外との交通手段が空路だけになった。2011年にはJTA、RAC、ANAに加え、スカイマーク・エアラインズが那覇-宮古線に参入し、早期割引航空券や、航空券とホテル(+レンタカー)を自由に選択できるダイナミックパッケージ(DP)の値下げ競争が激化した。このため、店頭販売より割安な航空券やDPをWebで予約する観光客が増えたものと考えられる。<br><u>2.宿泊施設に関する情報収集と予約</u><br> 旅行の手配をすべて個人で行った観光客62名のうち、38名がWebで宿泊予約を行っていた。このうち、23名は宿泊施設独自のWebサイトにある予約フォーム等を利用しており、大手旅行予約サイトや航空会社の宿泊予約ページからの予約を上回っていた。<br> 一方、宿泊施設に関する情報収集では、大手旅行予約サイトの利用がもっとも多く、宿泊施設独自のWebサイトを上回った。以上の点から、大手旅行予約サイトで宿泊施設を探した後に、宿泊施設独自のサイトを閲覧して、気に入った施設に予約を入れる観光客が多いものと考えられる。<br><u>3.島内での観光行動に関する情報収集</u><br> 島内での観光行動(観光地巡り、ダイビング等)に関する情報収集方法は、「観光パンフレット・マップ」、「旅行雑誌」がWebサイトを大きく上回っており、依然として紙媒体が重視されていることが明らかになった。<br><b>Ⅲ SNS・スマートフォンの普及と宿泊施設の経営の変化<br></b><u>1.インターネットによるPR活動の変化</u><br> 助重(2010)の結果では、大部分の小規模宿泊施設がホームページによるPR活動を行っていたが、2013年においてはブログやfacebookを利用する宿泊施設が増加した。小規模宿泊施設では、ダイナミックパッケージや大手旅行予約サイトで集客を図るホテルに対抗するため、宿泊客と双方向のコミュニケーションをとり、リピーターの定着を図ろうとする動きが活発化しているといえる。一方で、ダイバー等、特定の常連客にターゲットを絞り、インターネットを利用したPRをやめた宿泊施設もみられた。<br><u>2.宿泊予約方法の変化</u><br> 宮古島では、楽天トラベルの登録施設が2013年7月時点で100軒を上回ったように、大手旅行予約サイトに登録する施設が増加し続けている。しかし、小規模宿泊施設の場合は、大手旅行予約サイトを積極的に利用して集客を図る施設と、大手旅行予約サイトは積極的に利用せず、ブログやfacebookで安定的な集客を図ろうとする施設に二極分化する傾向がみられた。<br><u>3.館内におけるインターネット利用形態の変化</u><br> 多くの施設では、客室でLANを使用できるようにしているが、スマートフォンの発達に伴い、パソコンを持参したり公共スペースに設置した共用のパソコンを利用したりする客は減少傾向にある。宮古島ではほぼ全域で携帯電話の電波も良好に受信できるため、客室のLANやロビーに置いていたパソコンを撤去した施設もみられた。