- 著者
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木村 勲
- 出版者
- 神戸松蔭女子学院大学
- 雑誌
- 神戸松蔭女子学院大学研究紀要. 文学部篇 (ISSN:21863830)
- 巻号頁・発行日
- vol.2, pp.1-30, 2013-03-05
『にごりえ』は樋口一葉が二四歳半での死の前年に書いた作品。ひとたびは自分の店を構えた男・源七が酌婦・お力に迷って零落し、尽くす妻・お初と一児を捨てて破局にいたるというもの。源七のもとを去るときのお力の言葉が「たとへ何のやうな貧苦の中でも二人双つて育てる子は長者の暮しといひまする、別れゝば片親、何につけても不憫なは此子と思ひなさらぬか、あゝ腸が腐た人……」だ。男の無責任さと、捨てられた母子とくに母の健気さとを、酌婦を介在にした悲劇として読まれてきた。しかし一葉は時間的・空間的(そして心理的)に巧みな仕掛けをして、一読の印象とは違う世界を織り込んでいた。「冷笑がある」と突いたのが斎藤緑雨だ。毒舌で文壇から嫌われていた彼と、一葉は死ぬ前の半年間、親交した。頻繁な来訪を心待ちして「微笑」んで聞く――そんな最後の日々が日記に詳細に書かれた。作品と日記と制作過程を示す残骸(未定稿)を比較し、思想史的背景も考慮に入れて作品分析を行う。