著者
宗臺 秀明
出版者
鶴見大学
雑誌
鶴見大学紀要. 第4部, 人文・社会・自然科学篇 = The bulletin of Tsurumi University. Pt. 4, Studies in humanities, social and natural sciences (ISSN:03898032)
巻号頁・発行日
no.56, pp.39-96, 2019-03

かわらけの型式分類とその変遷を遺跡内層序と遺跡間年代差から探り、かわらけは土師質土器が器種単純化と法量の二分化をとげる12 世紀前半から中頃に生じたと考えた。12 世紀第3 四半期までには在地土器がかわらけに収斂するのと併行して器種ごとに産地が異なる焼物を搬入する中世土器様式が成立した。その背景には京都における院政の開始と同様に東国社会に家の成立があり、惣領を核とする武士団が海上と陸上の物資流通に大きくかかわっていたことが要因としてあげられる。また、かわらけの変遷に年代を与えるには、共伴遺物よりも伴出遺物の最新年代が有効で、それも生産から廃棄までの期間が短い消耗品である東海系の山茶碗や瀬戸・常滑窯製品の内、碗・皿や鉢の年代を用いた。これらの検討を経て、かつて筆者が示したかわらけの編年に大きな変更を加える必要のないことを確認する一方で、土師質土器からかわらけが生じる点を重視して、かつてのⅠ期とⅡ期をⅠ期のab 小期に統合し、以後Ⅲ期をⅡ期へと一段階づつ段階を減少させた。鎌倉におけるかわらけの変遷において、大きな意味をもつのが「薄手丸深」と呼称されていたG型である。G 型はそれまでの皿形から埦形への移行と大・中・小の法量の3 分化を特徴とする。この特徴は併存する他型式のかわらけにも影響を与えた。13 世紀第3 四半期に登場し、1300 年前後に確立して14 世紀いっぱい生産され続けるG 型を「東国の武家政権のかわらけ」と措定した。ただし、G 型の形成には従来あまり注視されていなかったX 型が影響を与えていたのではないかと考えられるが、今回その証跡を確認することはできなかった。