著者
合山 林太郎
出版者
慶應義塾大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2016-04-01

研究計画に基づき、以下のような調査・研究を行った。①江戸・明治期の詞華集などに掲載された中国古典詩について継続的な調査を行った。とくに、近藤石顛編、近藤元粋(南州)閲『詩作独学自在』(青木嵩山堂、明治25年〈1892〉)などの、明治期の詩学作法書、韻類書を集中的に検討した。なお、『詩作独学自在』は、石顛が編纂しているが、実際には、近代の大阪で活躍した儒者南州の手が相当に加わっているものと推測される。当時注目を集めていた森槐南の『古詩平仄論』(清の王漁洋、翁方綱の著述を槐南が参訂したもの)などに対する批判的な言辞が見られ、明治期多様な潮流を知る上で意義ある資料である。②近世後期以降に刊行された和刻本の漢詩集について分析した。その中でも、とくに先に言及した近藤南州が編集校訂を行ったものを重点的に調査した。南州は、自ら評訂した和刻漢詩集を、多数刊行している。これら南州校訂の和刻本が、どの程度、社会に読まれ、近代の中国古典詩受容にどのような影響を与えたかについて、検討した。③近世期の中国古典詩の受容について、特色ある言動をしている人物たちを取り上げ、重点的に調査を行った。具体的には、近世中期の儒者であり、明石藩に仕えた梁田蛻巌や、近世後期の京で活躍した文人梅辻春樵などを分析した。④近世後期以降、どのようなかたちで漢詩文化が形成されていったかについて、中国古典詩とともに、当時の人口に膾炙した日本の漢詩を例に考察した。近世最大の学塾咸宜園を運営した広瀬淡窓や、維新期の政治家である西郷隆盛の詩、さらには、近世期に作られた江戸の名所旧跡などを詠った詩などを例に、それらが、どのような媒体に掲載され、社会に流通・浸透していったかを検討した。

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