著者
藤井 大児
出版者
岡山大学経済学会
雑誌
岡山大学経済学会雑誌 (ISSN:03863069)
巻号頁・発行日
vol.38, no.4, pp.39-50, 2007-03

本稿は,経営学の分野で,比較事例分析という研究方法が,どのように理論産出に貢献しうるかを考察することを目的とした作業の一部である。経営学の文脈では,実証的研究方法として事例研究が頻繁に実施されている。しかしながら,成果として提出される理論がどの程度妥当なものと認められ得るのかについて,常に批判に晒されるリスクを負っている。単純ではあるけれども,もっとも強力な批判の矛先は,ごく少数の事例を見ただけでは,仮説の検証という意味では心もとない,というその一点に向けられている。確かに事例研究に対する擁護者は存在するけれども,投稿論文でも「仮説」という用語を論文に用いるや否や,匿名査読者から例外なく容赦ない批判を浴びせられるのが現実である。そもそも事例研究は,仮説の普遍的妥当性を主張するものではない。登場する行為者の目的や動機,さらに行為者間の相互作用過程にまで踏み込んだ,内部一貫した論理展開を行うことのほうが,経営現象をより深いレベルで理解できるはずだという認識が,その主張の根底に流れている。事例分析を行う研究者は,仮説の検証ではなくて,理論産出を目指すのが良いと言い換えられるかもしれない。この目的に照らせば,既存の研究蓄積との対比で問題が提起され,理論的主張に対して事例記述が例証と位置づけられることによって,事例研究は成り立つことになる。ただしその主張にたどり着くまでの調査過程で,どのような問題を提起し,どのような主張を展開すべきなのかに迷ってしまうことがある。というのは,しばしば事例記述のためのデータ収集には長い時間と多大な労力がかかるために,どこに向かうべきなのか「腹を括る」よりも前に実質的な試行錯誤を始めざるを得ないからである。毎日図書館に通って,高度経済成長の最中に出版された(しかも開けばまだ真新しい)新聞の縮刷版をひっくり返したり,やっとの思いでキー・パーソンへのアクセスがかなったにも拘わらず,気の利いた質問のひとつもぶつけられずに悔しい思いをしたり,調査協力者に内容確認を依頼した結果,公表を辞めるよう求められたり,どこに向かうとも知れない憂鬱な作業は続く。さらにその事例については他の誰よりも詳しく通じてしまった結果,理論的な整理が付かないまま膨大な事実を草稿の中で列挙してしまうというのも,多かれ少なかれ誰にでもあり得る。これらのことが定性的な研究方法は「職人仕事」であると皮肉られる理由にもなっており,とくに仮説検証を重視する人々にとっては,追試可能性の低さと結びつけて,格好の批判材料を提供することになる。本稿の意図が,こうした見解に加担することではないのは言うまでもない。しかしながら,筆者自身が事例研究を行う立場だからこそ,それがあまりに感性とか根性論に訴えねばならないもののように思われて,歯がゆい思いをすることも多いのである。以上のような試行錯誤のプロセスは,研究者として駆け出しの間は当然避けられないものだけれども,標準的とは言わないまでも「何かしら有意義な理論の産出に辿りつくまでに最低限やっておくと良いこと」という意味での研究作法があればこそ,研究者コミュニティ全体での知識の効率的蓄積が可能というものである。その研究作法が,産出された理論の確からしさを一定程度保証してくれる方法論的配慮がなされたものであれば,より望ましい。ここで有用なアドバイスが,グレイザー・シュトラウス(1967)に求められる。理論産出に主眼を置き,「理論的サンプリング」による絶えざる比較法を用いることで,研究者の着眼は理論的にも有意味な構成概念へと昇華させることができると示唆されている。理論的サンプリングとは,まず十分な分散を確保したデータがあることを前提としたランダムサンプリングとは対照的に,理論的に有意義と考えられる比較対象を分析者が意図的に選択し,比較分析を何度も繰り返すことで,新たな構成概念を発見するというものである。ただし残念なことに,この文献は一読して理解できるという性質のものではない。読者が自らの経験や知識を当てはめながら少しずつ解釈を加えていかないことには,著者の豊かな含意を捉え損なうものである。そこで筆者は,いくつか参考になりそうな文献を渉猟しながら,比較作業が理論の産出という研究作業にどのような指針を与え,最終的な理論的主張に対して方法論的な正当性をどのように与えうるのかを議論することにした。筆者自身は経営学を専攻としており,グレイザーらは医療現場を分析対象としている社会学者であるので,両者の認識ギャップを埋める作業は容易ではない。いくらか遠回りのようではあるけれども,まず本稿では経営学者としてグレイザーらの所論に依拠しつつ,実際に比較事例研究を実践した研究者の著作に当たることから始めようと考えている。続いて次稿以降では,グレイザーらの研究領域である医療現場の社会学を対象にして,彼らの意図するところをより深く掘り下げていくことを予定している。最終的には,筆者自身の立場を明らかにする作業が必要になるけれども,それはもう少し先のこととなろう。本稿は,いわば先人の研究実践を事例研究することを通じて,筆者なりの研究作法を探る試行錯誤プロセスの一環であり,相撲で言えばぶつかり稽古のようなものである。
著者
片岡 幸雄
出版者
岡山大学経済学会
雑誌
岡山大学経済学会雑誌 (ISSN:03863069)
巻号頁・発行日
vol.39, no.4, pp.363-390, 2008-03

Since 1997, China has earnestly taken the basic trends of economic globalization as the object to incorporate them into its world strategy, though China didn't exactly decide the "Reform and Opening up Policy" on the perspective of the economic globalization. China considered it more useful for her economic development and raising its position in the world political economy to set China into the main stream of economic globalization as the basic trend within the world economy. Economic globalization has twin aspects with a national economy ; inflow of foreign direct investment, portfolio investment, technology, labor and services, and outflow of them. This article focuses on the latter problems experienced by China. We can find some reasons in the background of China's strategic orientation, as follows ; China must secure its economic security for smooth economic development , whereas, a few main developed countries strengthen controls over basic resources and market share of the world within global economic competition, China has developed conditions to use comparative advantages in some sectors to set up China's direct investment enterprises abroad, thus increasing foreign currency reserves− an important factor , incurring frequent conflicts in exports, securing foreign technology by M&A. Currently, China's foundation of political economy in "The Age of Peace and Development", "The Age of Economic Globalization," lays special emphasis on "The General Security Strategy" accountable not only to her own country's military security but also to its economic security for said economic development. The main point is to strengthen global economic relations by economic cooperation−the latter aspects of economic globalization mentioned above. This article analyzes steps for the relaxation of controls over China's enterprise activities overseas, the relaxation of foreign exchange controls, and the encouragement for China's enterprises going abroad to study its rapid progress of said strategy . Lastly, it refers to Hong Kong's vanguard position in a China's "Going Abroad." Strategy.筆者は先に,「中国"走出去"戦略のもつ意味」なる論稿において,国家戦略としての中国"走出去"戦略の含意について若干の考察を行った。"走出去"の英訳としては"going abroad","going global"が用いられているが,日本語としては対外経済進出活動とでもいえようか。しかし,それは国家戦略として打ち出されているから,単に中国企業の国際化,あるいは多国籍化という次元の企業戦略行動の範囲内でとらえるだけでは不充分で,今少し深層に踏み込んで検討してみる必要があると考え,その全体的枠組と重層的構造について整理を試みたのである。このようなことから,前稿ではその戦略の遂行のための整備と実態の進行状況については,立ち入って整理することができなかった。本稿では,中国のこの戦略遂行に向けての管理・奨励政策の諸側面について,いささかの整理作業を試みてみたい。現時点での関連する全般的概況を一瞥すると,2005年末までの中国企業の非金融部門の対外直接投資累計投資残高は約572億ドル,対外請負工事,対外労務合作と対外設計コンサルタント業務を含めて一括対外経済合作と呼ばれるものの累計契約金額は2,286億ドル(完成営業額1,728億ドル),各々1,859億ドル(同上1,358億ドル),404億ドル(同上356億ドル),23億ドル(同上14億ドル),累計契約件数は45万5,513件,このうち対外請負工事5万3,074件,対外労務合作39万8,119件対外設計コンサルタント業務4,320件となっている。2006年12月12日号の日本国際貿易促進協会発行の『国際貿易』紙の報ずるところによると,この時点で海外にある中国企業は1万社を超え,非金融業の資産総額は2,000億ドル以上に達した。年間売上高は1,500億ドル,所在国への納税額は35億ドルに達するとされる。2006年の『中国国際収支報告』によると,2006年の中国の対外直接投資額は185億ドル,撤収・清算などの金額7億ドル,純流出額は178億ドルであったと報告されている。2006年の非金融部門の対外直接投資額は161億ドル,累計額では733億ドルに達する。『国際商報』紙によると,2006年末における中国の対外直接投資累計投資残高の世界の対外直接投資累計投資残高に占める比率は0.55%,中国の対外請負工事実施累計金額の世界対外請負工事実施累計金額に占める比率は2.1%,中国の対外労務合作累計金額の世界の労務合作累計金額に占める比率は1.5%で,中国の対外経済進出は初級段階にあると総括している。
著者
八木 紀一郎
出版者
岡山大学経済学会
雑誌
岡山大学経済学会雑誌 (ISSN:03863069)
巻号頁・発行日
vol.17, no.3, pp.p653-669, 1986-02
著者
Shimizu Koichi
出版者
岡山大学経済学会
雑誌
岡山大学経済学会雑誌 (ISSN:03863069)
巻号頁・発行日
vol.36, no.3, pp.255-279, 2004-12

One of the widely held opinions about Japanese firms' high performance suggests that Japanese employees, organized in teams, are making kaizen (continuous improvements) in their own jobs through quality circles or other initiatives such as a suggestion system. But who are these employees? They would have to be blue−collar workers in the Western perception, but the part of their contribution in improving productivity and price cost does not seem exceed 10% of all improvements obtained. Who then brings about the major part of these improvements? Are the kaizen activities carried out without having relation to the company's profit strategy? If the employees have an objective in their kaizen activities, who provides the objectives? What do these objectives consist of? How are their activities managed? These questions invite us to inquire about a wholemanagement system of kaizen at Toyota Production System, considered as the basic model of "Lean Production". But Toyota reoriented its organized kaizen activities toward the construction of more humanized production system during 1990s. This paper then shows this reorientation and the new direction by showing the case of Tahara No.1 plant. Through these discussions, I want to emphasize the importance of organized kaizen activities that group leaders, chief leaders and engineers are carrying out, and also the fact that their activities are now centered not only upon productivity increase but also upon the humanization of work.