- 著者
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太田 仁樹
- 出版者
- 岡山大学経済学会
- 雑誌
- 岡山大学経済学会雑誌 (ISSN:03863069)
- 巻号頁・発行日
- vol.39, no.3, pp.265-278, 2007-12
本シリーズでレーニン研究をとり上げるのは,1999年の第10回「岡田和彦著『レーニンの市場と計画の理論』によせて」以来2回目である。先稿の冒頭において,日本のレーニン研究の状況について,つぎのように述べた。「「レーニン研究」と称して,自らの政治的プロパガンダをおこなおうとする著作は汗牛充棟であるが,日本の学界はレーニンを対象とする研究を数えるほどしか産出していない」(太田[1999],53)。その後8年を経過したが,レーニンを対象とする本格的な学問的研究が日本でほとんどなされていない状況はそれほど変わっていない。しかしながら,レーニン没後80年の2004年前後には,レーニンについて一部で語られる状況が現われた。上島武・村岡到編の論文集『レーニン:革命ロシアの光と影』(上島・村岡編[2005])は,2004年におこなわれたレーニン没後80年を記念するシンポジウムをもとにした著作であるが,レーニンを論ずると称して自らの政治的見解を開陳することに終始する従来型の論考も見られる。今回の「レーニン論」の若干の特徴は,かつてのレーニン礼賛の裏返しとして,レーニンに対する罵倒を重ねているが,歴史的存在としてレーニンを理解しようとする姿勢がなく,レーニンを理解するべく蓄積された研究史を踏まえず,「現代的な意義」の否定に躍起になっているところにある。方向は逆向きであるが,かつての状況の繰り返しである。ただし,この論集には森岡真史「レーニンと「収奪者の収奪」」のような本格的な研究の成果も含まれている点で今後の学問的研究の発展につながる可能性もある。同年に出版された長原豊・白井聡編の論集『別冊情況特集レーニン〈再見〉:あるいは反時代的レーニン』(長原・白井編[2005])は,外国人の論考を訳出し日本人の論考も加えた論集であるが,崎山政毅「ラテンアメリカ〈と〉レーニン」などを除けば,歴史的な存在としてのレーニンにこだわることなく,「現代」に関する自らの見解を展開したものであり,1970年代にはよく見られたスタイルの著作になっている。この意味で「反時代的」な著作となっているが,学問的研究の成果に背を向けている点では伝統的な論文集といえよう。ほぼ同じ時期に,韓国の雑誌『マルクス主義研究』第2号は「レーニン主義の現在性」という特集を組み,編集長のチョン・ソンジン自身が「レーニンの経済学批判」( [2004])という論考で、レーニンの経済理論について批判的な検討をおこなっている。チョン論文は,レーニンの理論の現代的妥当性をの存否を検証しようとするものであるが,歴史的存在としてのレーニンに関する先行する学問的研究を踏まえ,先行研究にたいして自説を対置するという,オーソドックスな手法によりレーニン理解を一歩進めようとするものであり,上記の2論集に含まれる研究史を無視した現代性の否定や称揚とは一線を画するものであり,学問的レーニン研究の前進に裨益するものである。白井氏の著作は,日本でひさびさに現われたレーニンに関する単著である。白井氏は上記の『別冊情況』の編者でもあり,レーニンの現代性を称揚する立場に立つ点で,伝統的レーニン論者の一タイプであるといえる。この著作もレーニン礼賛本の一種と言ってよいが,従来の礼賛本とは異なったものが見受けられ,レーニン受容の現代的特徴を示すものとなっている。