著者
井上 厚史
出版者
島根県立国際短期大学
雑誌
奨励研究(A)
巻号頁・発行日
1994

韓国性理学および日本朱子学の特徴について、新しく入手した資料をもとに基礎的研究を行い、以下のような成果を得た。1、李退溪の思想は、従来の「朱子哲学の限界を超えた」という観点から評価するよりも、朱子学の一つのヴァリエーションと考えるべきである。そして、その特徴は存養と省察の間に「格物」という過程がそっくり脱落しているところに端的に表れている。つまり存養省察の体認体察がそのまま窮理になるといってよく、この点で、朱子学の格物窮理はその対象を「心身」に限定することになった。2、李退溪の思想の影響を強く受けた日本の朱子学者-林羅山や山崎闇斎-も同様に、「心身」への強い関心が見られるが、韓国性理学の場合とは異なり、「理」は実体的に認識される傾向が非常に強い。その背景には、実体的な「心」の概念を提唱していた神道-たとえば『古事記』に見られる具象的なイメージ-との習合が強く関与していると考えられる。したがって、日本の朱子学を考察する場合、神道との比較考察を抜きにすることはできない。3、韓国性理学のもう一つの著しい特徴として、「正心誠意」と「天下国家の事」とが緊密に連結している点があげられる。有名な李退溪により「敬」の重視も、この強い国家意識を抜きにして語ることは難しい。彼が「心」や「善一辺純粋性情の定立」などを問題としながらも、単なる空想的な道徳論に陥らなかったのは、この強い政治意識が介在していたためだと思われる。4、以上の考察により今後問題となるのは、(1)日本朱子学における国家意識の継承、(2)日本朱子学と儒家神道との関係、(3)山崎闇斎に引き継がれた「敬義内外」説の政治的な観点からの分析、の三点である。日韓儒学の比較研究は「理気」論に限定されて考察される傾向が強かったが、今後が認識論レベルにおける比較や言語論からのアプローチを試みる必要があるだろう。
著者
稲見 正浩
出版者
島根県立国際短期大学
雑誌
奨励研究(A)
巻号頁・発行日
1994

ダルマキールティの『プラマーナ・ヴァールティカ』プラマーナシッディ章はその思想的重要性にもかかわらず、サンスクリット・テキストが未だ十分な校訂がなされておらず、定本と呼ぶべきものが存在しないのが現状であった。本研究は、同章のサンスクリット・テキストのクリティカル・エディションを作成すべく、以下の様な研究を行なった。1.ラーフラ・サーンクリットヤーヤナ等による各出版本に言及されている写本のヴァリアント、および出版本間のテキストの異同を明確にした。2.スタンダード版とされるサキャパンディタのチベット語訳(sDe dge No.4210)、さらにデーヴェーンドラブッディ、・プラジュニャーカラグプタ、ラヴィグプタ等の注釈書(sDe dge Nos.4217,4221,4224,etc.)に含まれる他の訳者の手になるチベット語訳を検討した。3.デーヴェーンドラブッディ、シャーキャブッティ、プラジュニャーカラグプタ、ラヴィグプタ、マノーラタナンディン等の注釈者の解釈から偈頌のテキストを想定した。4.ジャイナ教やニャーヤ学派等の論書に引用されるテキストを収集し、一覧表を作成したうえで、比較検討を行なった。5.以上の成果をパソコンに入力し、データベースを構築し、その上でサンスクリット・テキストのクリティカル・エディションを作成した。最終的には以上全体の研究成果はウィーン大学チベット学仏教学研究所より出版したりと考えている。