著者
遠山 富太郎
出版者
島根農科大学
雑誌
島根農科大学研究報告 (ISSN:05598311)
巻号頁・発行日
no.8, pp.(A)141-149, 1960-03-31

Hitherto, it is commonly said in this country that Sugi (Cryptomeria japonica) may be subdivided into two subspecies or two types, namely Omote-sugi (Pacific type) and Urasugi (Japanese sea type). The former has roundheaded crown and straight leaves which are attached to twigs at obtuse angle. Its growth is rapid in young stage, but soon becomes slow, and is often injured by snow in northern district. The latter has conical crown and curved leaves which are attached to twigs at acute angle. Its growth is slow in young stage, but later becomes vigorous and continues without being injured by snow.In our survey of some natural forests of Sugi in the Chuhgoku Mts. in western Honshuh in the fall of 1956, we were impressed that the theory of subdivision above mentioned of Sugi is not well-founded sufficiently So we looked through literatures concerned, and concluded as follows.1. It seems to us that differences in the growth, which were observed formerly by some investigators, should not be due to "types" but to "varieties".2 . Crown type of Sugi were observed hitherto with no consideration of its site and physiological age, and results obtained till now did not agreeed completely. From these results we should not subdivide Sugi into two types.3. We think leaf type is useful to recognize genotype of Sugi, Among characters belonging to leaf type, angle of leaves attaching to twigs is useful specially, because it can be easily measured and its data obtained till now is not few. From those data and our recent observations, it seems to us that angles of leaves increase gradually from north to south following the situation of the natural forests, and also among seedlings in nurseries, from seeds gathered from many places allover in this country. This tendency of angle increasing is continuous and fairly irregular, so a distinct line dividing this country into two parts should not be given corresponding to the types of Sugi. There may be certain hereditary factor in Sugi which was influenced gradually in different degree following the direction from north to south in this country.
著者
中村 貞一
出版者
島根農科大学
雑誌
島根農科大学研究報告 (ISSN:05598311)
巻号頁・発行日
no.14, pp.A(78-82), 1965-12-31

This paper is the first half of an study on the Japanese characteristics of forest recreation.In this issue it contains descriptions of ancient recreational patterns in woodlands, and some characteristics of forest recreation in the old Japanese livings. The second half of this study will appear in the next issue, containing patterns and characteristics of forest recreation in the modern Japan.In the old Japanese livings the author found such forest recreations as huntings with bow and arrow, falconry, sport fishing in mountain streams, outing for viewing fall colour, mountaineering etc., among court officials and nobilities, which were less popular than the recreation in the open fields or at the seaside.He tried, by searching into the Mannyosyu, to evaluate1 ) a situation of the forest recreation in old livings of the Japanese,2 ) their feeling toward woodlands, and3 ) an amount of their interest, which they showed in forest recreation at that time.
著者
三浦 正
出版者
島根農科大学
雑誌
島根農科大学研究報告 (ISSN:05598311)
巻号頁・発行日
no.9, pp.(A-1)222-236, 1961-03-31

ニシキソウ科のアブラギリの実から搾取した桐油が,乾性油として重要性をもっていたことは特筆するまでもない.特に第二次大戦後の数年は桐実の生産者価格も非常によく,農家にとっては有利な特用樹であった.島根県は我国でもアブラギリの主要生産地として大きな役割を果たしてきた.ところが,1950年頃から島根県下のアブラギリ栽培地帯にオオキンカメムシ(Eucorysses grandis THUNBERG)が大発生して桐実に大被害を与えた.島根県に栽培されているアブラギリの大部分は日本種で,支那アブラギリや広東アブラギリは比較的近年植付けられたもので生産量も僅かである.この支那種も広東種も島根半島地域の割合暖い場所でみられる.このアブラギリの害虫であるオオキンカメムシは島根においては日本種に被害を与え,支那種,広東種は被害を全く受けなかった.桐実が加害されると結実不良となり,桐油かとれないので被害は大きい.島根は気侯条件からして日本種が最適で外国種は霜凍害を新芽に受けやすく生育が良好でない.日本種が本虫の被害を集中的に受けるので県としても,農家としても重要な問題であるので防除対策を講じなけれぱならない必要から著者は本虫に関する研究をなしてきた.本虫の発生当時はオオキンカメムシに関する研究は殆ど皆無であった.著者は本虫の生態について研究し,三浦,近木(1953),三浦(1954),三浦,近木(1957),三浦(1958)として公表してきたが,近年オオキンカメムシが減少し実験も殆ど不可能になってきたので一応研究を打切りたいと考えて,今までの研究成果をとりまとめて印刷公表し,参考に供したいと考える.本研究は1952年から'57年までに実施したもので,その間多くの人から御援助いたゞいた.特に本学近木助教授には共同研究者として又本文をまとめるについて色々と教示いただいた.京都大学内田教授,島根県農林部吉岡,須山両技師の御厚意に深く感謝いたします.
著者
中尾 鉱
出版者
島根農科大学
雑誌
島根農科大学研究報告 (ISSN:05598311)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.(A-5)45-62, 1967-01-31

周知のとおり林業労働カの給源は山村および農山村であって,その殆んどが半農的労働者として兼業農家層から析出されている.林業労働の就業形態が断続的であるなどの特殊性もあって,林業労働に関する統計資料がまだ充分整備されていないので,労働力人口を的確に把握することが困難であるが,自営業主と家族従業者を含めて全国でおよそ67万人,島根県で1.3万人ていどの林業労働者が存在するものと推定されている. 1965年センサスは林業労働力の給源である山村および農山村のはげしい変容ぷりを報告している.かっては半失業人口のプール,過制就業のサンプルと言われた山村に,労働カ涸渇という,いまだかって見られなかった構造変化が生じたのである.農地改革以来はじめてと言われる変容のなかで,われわれは,国有林所在山村における林業労働力,林業労働力市場,労働力析出基盤などに関する諸問題の究明をとり上げた. われわれは主としてつぎの3分野から課題へのアプローチを試みた.(イ)山村における農民層分解の視点から,兼業労働のなかにしめる林業労働力の位置づけの問題.(ロ)育林労働と伐出労働,国有林労働など,林業の生産過程ないし労働カ需要市場などをとおしての,林業労働力の社会・経済的性格の究明.(ハ)林業労働力の析出基盤である兼業農家の経済構造,とくに自営農林部門・兼業部門にわたる就業構造と産出・所得構造の分析. 以上の分析を通じて林業経営と林業賃労働の近代化の方向をさぐろうと意図したものである. 実態調査は島根県邑智郡大和村で実施した.大和村には3.4千haをこえる広大な国有林(川本営林署所管)と,170世帯にもおよぷ林業労働力析出世帯が存在する. 大和村は自然地理的にも経済地理的にも「谷間の村」であって,林業労働・土木工事労働などを除いて,村内に適当な雇用市場が無く,また都市産業への通勤も不可能な地域であるため,広島・京阪神・名古屋方面へ年々多数の季節出稼ぎ労務者を送り出している. 本稿は前記(ハ)の分野について,主として聴取調査表の諸データにもとづいて分析を試みたものである.
著者
堀田 剛吉
出版者
島根農科大学
雑誌
島根農科大学研究報告 (ISSN:05598311)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.(A-5)8-18, 1967-01-31

我国の養蚕業は,北海道など一部の道府県をのぞけばほぼ全国的に分布しているが,生産の密度・生産費など13;にあらわれた結果より推定すれば,地帯別にかなり異なった形式で生産されており,しかも生産性格差は拡大してきていることが解る.これは養蚕業が,変遷する地域の環境条件へ適合する形で発展してきた結果であるが,それが合理的なものであったかどうかには疑問がのこる.この問題の解明には養蚕業がいかなる地帯に発展するかという問題と,養蚕業が環境条件へ如何に適合し生産性を高めていくかという時限の異なった二つの問題究明が必要である.筆者はこの問題を検討するため第1段階として,養蚕業の立地条件の吟味と地帯別養蚕業の変遷を解明した.この研究は農林省各種統計の利用を中心としておこなったため,次のごとき二つの重大な障害が生じた.13; 第1は,現在養蚕業は農業経営の一部門としておこなわれており,農業経営内での養蚕の地位が問題となるが,この研究では他部門との関係は捨象し養蚕部門のみをとり出す結果となったことである.これは同じ規模、密度で養蚕をおこなっているものは同質と考えることを意味しており,農業経営中の地位より来る養蚕業の対応の仕方を無視することになる.しかしこれはできる限り他の経営条件,その地域の養蚕業の変遷をみることにより補足把握することにつとめた.13; 第2の問題は,統計資料は平均化されたものが多く,地帯を大分割して等質のものとみたことで,地域の特性をつかむことにはなるが,同時にその中での多岐にわたる条件が平準化され,養蚕業そのものの大事な特性をも隠蔽される.時には反対の結果をだす危険性も生ずる.従ってこの問題は過去にだされた文献(とくに32年3月に農林省蚕糸局よりだされた養蚕経営分析)により補い,ここでは統計より言いうる鮮明な問題のみを解明した.従って第2段階として小地域の調査分析により,これらの問題は後日補っていきたい.
著者
金築 忠雄
出版者
島根農科大学
雑誌
島根農科大学研究報告 B 人文科学・社会科学・外国語・保健体育・教職教養 (ISSN:05598311)
巻号頁・発行日
no.7, 1959-07

国民の総意によつて,教育理想を明示したわが国教育史上画期的な法律である教育基本法は,昭和二十二年制定された。同法第一条に,教育目的をかかげているが、その前文には,民主的で文化的な国家を建設し,世界の平和と人類の福祉に貢献し幸うとの決意を述べ,その理想の達成は教育の力にまつべきであるとし,個人の尊厳を重んじ,真理と平和を希釆する人間の育成,普遍的にして個性的な文化の創造をめざす教育を期すると述べている。まことに美しい言葉の羅列である。このように美しい表現を,単なる1ip serviceにおわらせないために,基本法の正しい理解を必要とするであろう。ところが,これは案外むずかしいことである。まず考えられるのは,、条文の成立過程をせんさくすることだが,それには条文作成という切実な要求をみたそうとした結果,原理的な検討の不足が目立つように思われる。それよりも,そのような形で表明されている社会的要求を,もっと広い世界的視野において,教育文化史を背景として見ることが,より深い実質的な理解をするために大切であると思う。13; 教育目的論は,ある学者にとつては,恒常的普遍的な窮局目的論を意味し,他の学者には,歴史的社会的条件に左右される特殊な目的論と考えられる。前稿において,教育学におけるさまざまな学的態度について述べたが,教育目的についても,世界観的基礎が問われねばならず,さまざまな世界観に対応する教育目的論が可能であると私は考えている。本論は,窮局には,現にわれわれが掲げている教育目的の思想的系譜を明らかにしようとするものである。今日の教育が,特にアメリカの影響を強く受けている事情から,当然,アメリカの教育思潮を辿る必要があるが、同じ動機から,アメリカの教育思潮を追究したものは,甚だ多い。急ぎすぎた概括論になりそうだが,わたくしも、わたくしなりに事態を消化し,問題点を発見し,それらに適当な位置を与えておいて,一層の前進のための青写真にしたい。