著者
中原 精一
出版者
明治大学短期大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1989

本研究は1909年の南アフリカ連邦憲法の前史もふくめて、おおよそ100年間の南アフリカ憲法史を展望し、南アフリカ憲法とアパルトヘイト法体系とのつながりを考察したものである。南アフリカ憲法はアパルトヘイトをぬきにしては考えられないのである。南アフリカ共和国の憲法史は、巧妙にカムフラ-ジュされたアパルトヘイト史といえる。したがって、南アフリカ共和国憲法には、近代憲法の要請する基本的人権の保障を定める条項を、遂に掲げることがなかった。1983年憲法でカラ-ドやインド人を参加させた国会を実現させたが、全人口の5分の4を占めるアフリカ人が直接国政に参加することはできなかった。そのためアフリカ人を差別する法律が大量に制定されて、彼らを苦しめたのである。いってみれば南アフリカ共和国憲法史の底流にはアフリカ人の受難史が存在していたということである。しかし、1976年のソエト事件をきっかけに、アパルトヘイト政策に対する国際的批判が高まり、1980年代に入ると単に批判するだけではなく、国際的経済制裁によって、アパルトヘイト政策に反省を促すようになった。1983年憲法はそれに応えるものとして制定されたものであったが、もちろん不十分なものであった。そして、政府は1985年以降から不道徳法や雑婚禁止法など主要なアパルトヘイト法を廃止するようになった。さらに反アパルトヘイト法闘争を続けてきたアフリカ人政党を合法化し、ANC副議長のN.マンデラを釈放して、これらの政党と話し合いの場をつくる努力をはじめた。そして、本年2月1日にデクラ-ク大統領は集団地域法、土地法及び人口登録法の廃止を宣言した。これら一連の政策変更によって、アパルトヘイト法体系は消滅して、新しい憲法が誕生するのが間近かとなった。この研究はいまもっとも動いている南アフリカ憲法史を展望しているということがいえるのである。