著者
櫻井 圀郎
出版者
東京基督教大学教授会
雑誌
キリストと世界:東京基督教大学紀要 = Christ and the World (ISSN:09169881)
巻号頁・発行日
no.32, pp.7-37, 2022-03-10

2020 年新年早々の厚労省の発表に端を発する新型コロナウイルス感染症(COVID-19)問題(いわゆる「コロナ禍」)により、2020 年1月以来、⽇本および全世界が手探りの感染症対策に追われ、公私の通常の業務も⽇常生活すらも深刻な影響を受けてきた。基督教の教団、教区、司教区、大会、中会、連合会、地方連合、支教区、宣教区、教会等(以下「教団等」という。)や個々の教会、伝道所等(以下「教会等」という。)においても、礼拝式、祈祷会、宣教活動、伝道活動、牧会活動、教育活動、社会貢献活動、支援活動等のみならず、教団等や教会等の意思を決する会議の開催および運営に大きな影響を受けてきたところである。本稿においては、会社法等の法人法の規定を参酌しつつ、宗教法人法の規定を吟味しながら、コロナ禍においても、教会等に比し会議の重要性の高い教団等における会議の問題を考察する。とりわけ「オンライン会議」の可能性と、法的な有効性および法律上の諸問題を考察し、教団等においても、今後備えなければならないものと思料されるオンライン会議について、実践的側面から考察する。あわせて、突然のコロナ禍における緊急の対応と、問題発生後既に 2 年を経過し、恒常化しつつある現況における対策とについて付言する。
著者
杉谷 乃百合 東京基督教大学 Tokyo Christian Unversity
出版者
東京基督教大学教授会
雑誌
キリストと世界 : 東京基督教大学紀要 = Christ and the world (ISSN:09169881)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.103-109, 2008-03-01

セルフ・レギュレーションというコンセプトは心理学の研究に於いて比較的新しい分野のものである。セルフ・レギュレーションは、時間管理、学習習慣、健康や食生活、他者関係、人生のゴールなど人間活動の質に関わる重要な要素である。ジママーン(2000)によれば、セルフ・レギュレーションというコンセプトの一般的理解は様々な分野において統一はとれていない。つまり、セルフ・レギュレーションは人間の生活において重要であるが、複雑な構成要素のため、量的研究においては理論化やオペレーショナイズすることが難しい。この論文においては、社会認知論的立場から教育現場におけるセルフ・レギュレーションを論じる。Self-regulation is a relatively new area in psychological research. It is a critical component in the quality of many human activities such as time management, study habits, health and diet habits, relationships with others, and life-goals. However, according to Zimmerman (2000), the search for a general understanding of self-regulation has not been coherent in these diverse areas. In other words, although self-regulation is an important part of human life, it is a complex construct to define in theories and to operationalize in empirical research. In this paper, social cognitive research on self-regulation in an educational setting will be discussed and analyzed.
著者
櫻井 圀郎
出版者
東京基督教大学教授会
雑誌
キリストと世界 (ISSN:09169881)
巻号頁・発行日
no.15, pp.61-94, 2005-03

「ペット供養は宗教行為ではない」として、愛知県内の宗教法人に対して税務署が課税処分をしたことに端を発し、同処分の取消を求める行政訴訟が名古屋地裁で継続中である。争点は宗教とは何かということにあるが、同時に、行政が勝手に何を宗教とし、何は宗教でないと判断してよいものかが大きな問題となる。「百人の学者がいれば百通りの定義がある」と言われる宗教問題であるが、行政の問題としては統一的に扱われる必要がある。その視点から、「宗教とは何か」という宗教の判断基準について考察する。
著者
稲垣 久和
出版者
東京基督教大学教授会
雑誌
キリストと世界 : 東京基督教大学紀要 = Christ and the World (ISSN:09169881)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.1-19, 2012-03

人間が生きること,それも「善く生きること」は哲学の出発点にあった。そのために,今日では道徳,倫理だけでなく,政治,経済,教育,福祉が関わる。これら全体が関わるところに現代人の「幸福な生活」が可能になる。21 世紀の文明の変転期には,枢軸時代の大思想を再解釈していく必要性が出てきている。キリスト教と同時に,東アジアの伝統と対話しつつ儒教の「天と良心」,仏教の「慈悲と四諦苦集滅道)」の認識を深めて欲望をコントロールしつつ,他者と地球環境を配慮(ケア)するような「ケアの倫理」の確立に向かいたい。倫理を発想するスタイルとしては,「正義の倫理」は孤立した抽象的個人の見地に立ち,普遍的原理を結論するだが「ケアの倫理」は,具体的状況における対人関係を前提として,奉仕と同情に基づいた判断をする。 学問は内容が学際的であればあるほど哲学的な認識論と存在論が明らかにされなければ,ただの総花式の寄せ集めになってしまう。経済,政治,法律,道徳,倫理。宗教まで扱わねばならない今日の福祉学には,ますますその傾向が強くなっている。では今日の福祉学の背景となる哲学とは何か。われわれは公共哲学に基づいた福祉。すなわち公共福祉を提起したい。 キリスト教の果たすべき社会的責任とは,十字架の贖罪愛を通した common grace から来る。アリストテレス的な「友愛」をさらに上から“引っ張る”アガペーの隣人愛をもって,キリスト者は「よきサマリア人」としてのケアの倫理を社会に実践する主体となるべきだ。これは NPO 等の中間集団で発揮され市民社会の原動力となる。賀川豊彦の協同組合運動も現代の市場経済のゆがみを是正しようとした。そして彼の行動はキリストの十字架の贖罪愛から来ているのであり,すべての。現代の希望もまたここから出てくるのである。