著者
稲垣 久和
出版者
東京基督教大学教授会
雑誌
キリストと世界 : 東京基督教大学紀要 = Christ and the World (ISSN:09169881)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.1-19, 2012-03

人間が生きること,それも「善く生きること」は哲学の出発点にあった。そのために,今日では道徳,倫理だけでなく,政治,経済,教育,福祉が関わる。これら全体が関わるところに現代人の「幸福な生活」が可能になる。21 世紀の文明の変転期には,枢軸時代の大思想を再解釈していく必要性が出てきている。キリスト教と同時に,東アジアの伝統と対話しつつ儒教の「天と良心」,仏教の「慈悲と四諦苦集滅道)」の認識を深めて欲望をコントロールしつつ,他者と地球環境を配慮(ケア)するような「ケアの倫理」の確立に向かいたい。倫理を発想するスタイルとしては,「正義の倫理」は孤立した抽象的個人の見地に立ち,普遍的原理を結論するだが「ケアの倫理」は,具体的状況における対人関係を前提として,奉仕と同情に基づいた判断をする。 学問は内容が学際的であればあるほど哲学的な認識論と存在論が明らかにされなければ,ただの総花式の寄せ集めになってしまう。経済,政治,法律,道徳,倫理。宗教まで扱わねばならない今日の福祉学には,ますますその傾向が強くなっている。では今日の福祉学の背景となる哲学とは何か。われわれは公共哲学に基づいた福祉。すなわち公共福祉を提起したい。 キリスト教の果たすべき社会的責任とは,十字架の贖罪愛を通した common grace から来る。アリストテレス的な「友愛」をさらに上から“引っ張る”アガペーの隣人愛をもって,キリスト者は「よきサマリア人」としてのケアの倫理を社会に実践する主体となるべきだ。これは NPO 等の中間集団で発揮され市民社会の原動力となる。賀川豊彦の協同組合運動も現代の市場経済のゆがみを是正しようとした。そして彼の行動はキリストの十字架の贖罪愛から来ているのであり,すべての。現代の希望もまたここから出てくるのである。
著者
稲垣久和著
出版者
いのちのことば社
巻号頁・発行日
1990
著者
稲垣 久和
出版者
東京基督教大学
雑誌
キリストと世界 : 東京基督教大学紀要 (ISSN:09169881)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.1-19, 2012-03

人間が生きること,それも「善く生きること」は哲学の出発点にあった。そのために,今日では道徳,倫理だけでなく,政治,経済,教育,福祉が関わる。これら全体が関わるところに現代人の「幸福な生活」が可能になる。21世紀の文明の変転期には,枢軸時代の大思想を再解釈していく必要性が出てきている。キリスト教と同時に,東アジアの伝統と対話しつつ儒教の「天と良心」,仏教の「慈悲と四諦(=苦集滅道)」の認識を深めて欲望をコントロールしつつ,他者と地球環境を配慮(ケア)するような「ケアの倫理」の確立に向かいたい。倫理を発想するスタイルとしては,「正義の倫理」は孤立した抽象的個人の見地に立ち,普遍的原理を結論するだが「ケアの倫理」は,具体的状況における対人関係を前提として,奉仕と同情に基づいた判断をする。 学問は内容が学際的であればあるほど哲学的な認識論と存在論が明らかにされなければ,ただの総花式の寄せ集めになってしまう。経済,政治,法律,道徳,倫理。宗教まで扱わねばならない今日の福祉学には,ますますその傾向が強くなっている。では今日の福祉学の背景となる哲学とは何か。われわれは公共哲学に基づいた福祉。すなわち公共福祉を提起したい。 キリスト教の果たすべき社会的責任とは,十字架の贖罪愛を通した common grace から来る。アリストテレス的な「友愛」をさらに上から"引っ張る"アガペーの隣人愛をもって,キリスト者は「よきサマリア人」としてのケアの倫理を社会に実践する主体となるべきだ。これは NPO 等の中間集団で発揮され市民社会の原動力となる。賀川豊彦の協同組合運動も現代の市場経済のゆがみを是正しようとした。そして彼の行動はキリストの十字架の贖罪愛から来ているのであり,すべての現代の希望もまたここから出てくるのである。
著者
稲垣 久和
出版者
東京基督教大学
雑誌
キリストと世界 : 東京基督教大学紀要 (ISSN:09169881)
巻号頁・発行日
no.24, pp.140-164, 2014-03

日本のプロテスタントはその神学の営みの初期から世界観的思考を排除してきたし、そのことに気づいてこなかった。プラグマテイズムというよりもむしろ日本的霊性に影響されていたのである。民衆は仏教的救済観つまり「此岸から彼岸への移行」というレベルの福音の提示には何の魅力も感じていない。救済論中心の福音把握では仏教に基いた"日本的霊性"を凌駕することは不可能である。人間観と社会観と自然観において福音の包括性の豊かさを日本人民衆のニードに応じて提示する努力が必要であり、そのために十字架の贖罪愛を強調した賀川豊彦はモデルとなる。かつ、少子超高齢化社会に合ったケアの神学の開発が望まれる。またそれに見合う"愛の実践"が今後の日本宣教の課題である。