著者
浅沼 茂
出版者
立正大学教職教育センター
雑誌
立正大学教職教育センター年報 (ISSN:24355321)
巻号頁・発行日
no.1, pp.1-12, 2020-03-01

本研究は、現在多くの大学の教職課程で実践されている「履修カルテ」「自己評価票」に関する内外の論文からその起源と本来の狙いと実質的な効果について分析と考察を進めたものである。これらの自己評価票は、元々「ポートフォリオ」としての意味が隠されており、そのような用語で実践を進めている大学があることから、その表題も付記する必要があった。特にその元となっているアメリカでは、その用語を用いている場合が多いので、本探究では、そのような表題とした。教職における自己評価のような運動は、元々アメリカを起源としている。それは、自己の実存を自己反省的に再生するというような狙いが含まれていた。それは、アメリカの教育実習=教職課程では、「反省的教授」というような方法で、自己の存在自体を社会的公正や社会的階層性を見つめ直すという反省的実践に結びつけるというやり方で実践されていた。このような反省的実践は、日本のように履修カルテや自己評価票というような官僚的な文書作成の作業として制度化されると多様な問題が出てきた。一番重要と思われることは、教職において重要とされる社会的使命感や子供理解のような資質形成が、単なる形式的な文書作成として学生には認識され、形骸化した文書作り作業となってしまっているということである。これら一連の教職課程の文書作りについて、本来求められていたものが何であったのか、アメリカの学生の反省的実践の実例を照らしわあわせることにより、再度、その「質」を向上のためには、必要とされるものは何かということを提起した。
著者
望月 由孝
出版者
立正大学教職教育センター
雑誌
立正大学教職教育センター年報 (ISSN:24355321)
巻号頁・発行日
no.1, pp.111-121, 2020-03-01

最近マスメデイアなどで「PTA 問題」が頻繁に取り上げられるようになったが、そこで議論の対象になっている事柄は、「PTA は任意加入なのに全員加入のような状態でおかしい」とか、「PTA の意義がわからない」、「PTA の役員を無理やり押し付けられた」などとすべてが親側がら見たものばかりである。しかしPTA なのだから、P側の意見だけでなくTの立場からの考察がなければその議論は説得力を持たないであろう。 本論考では「PTA はどのような経緯で設立されたのか」、「PTA は本当に必要なのか」、「PTA の現代的意義はどこにあるのか」などについて考察を進めたい。また筆者は1974年から41年間千葉県立高校の社会科教師として勤務したが、1993年からは立正大学で教職科目担当の非常勤講師として兼務してきた。大学では20年ほど前から特別活動の講義も担当してきた。その中で「PTA 活動」の授業を展開し、その成立経過や意義、問題点などを受講生たちに話してきたが、その講義のレジュメや受講生の感想なども参考に供したい。