著者
瀧川 裕貴 定松 淳
出版者
総合研究大学院大学葉山高等研究センター / [葉山]
巻号頁・発行日
2009-10-19

太田朋子先生 (以下敬称略) は、1967年に木村資生の助手として国立遺伝学研究所に赴任された。 直後の1968年に、木村が「分子進化の中立説」を発表。太田は木村の共同研究者として中立説の洗練に努める一方で、自らの独自の説として「分子進化のほぼ中立説」を Nature誌に発表した (1973年)。その後も研究を続け、2002年には全米科学アカデミー外国人会員に選ばれている。 本インタビューは定松淳と瀧川裕貴が総合研究大学院大学の葉山高等研究センタープロジェクト「人間と科学」の課題「大学共同利用機関の成立に関する歴史資料の蒐集と我が国における巨大科学の成立史に関する研究(大学共同利用機関の歴史とアーカイブズ)」の一環として企画・実行した。 インタビューの狙いは二つある。第一に、「分子進化の中立説」および「ほぼ中立説」という生物学上きわめて重要な業績の成立過程を、その社会的背景や研究者の個人史とも関連させつつ、検討すること、そして第二に、共同利用機関としての国立遺伝学研究所の当時の状況および変遷を明らかにすること、である。 インタビューにおいては、太田と木村の間に存在する遺伝学理論に対する立場の違いや60年代後半から70年代にかけての遺伝研におけるインフォーマルな研究環境が明らかになった他、多くの興味深いエピソードが語られている。