著者
下田 正弘
出版者
CHISAN-KANGAKU-KAI
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.65, pp.051-060, 2016 (Released:2019-02-22)

イスラム思想研究の泰斗、井筒俊彦は、さまざまな言語で記された古典一次文献の精読を根拠として得られた広く深い知見をもって東西思想の比較研究を進めた。その結果、東洋思想、あるいはむしろ非西洋近代思想には「共時論的構造」があることを看取し、その代表的事例として大乗仏教思想を論じた。遺作となった『意識の形而上学』における『大乗起信論』理解には、言語を媒介としつつ意識と存在を照らし出す思想の構造がみごとに示されている。 井筒が明かす「東洋思想」には、「西洋思想」の歴史において一貫した課題でありつづけた「時間」の問題が表立っては登場せず、存在をめぐる思索の運動があくまで「空間」的に表出されている点が目をひく。この空間は、だが、もとより外的空間ではなく言語空間であり、井筒自身はそうした表現は取っていないものの、言語の存在自体を可能ならしめる「場」を隠喩的に表現したものにほかならない。 ここで注目すべき点は、こうした特性をもつ「東洋思想」を理解する井筒には、言語が仮象であることが自覚され、したがってここにいう言語空間あるいは場は、仮象の空間であり場であると、明瞭に意識されている点である。「形而上学の究極において言語はその機能を失う」のである。だが、じつは言語の機能のこの限界点が照射されるからこそ、その限界領域において意識と存在の問題が言語によって生産的に構成されている瞬間が浮き彫りとなる。限界点はたんなる終点ではなく、未知の可能性出現の起点であり、両者の起滅が同時に明らかになる地点である。 井筒の思想構築の特質は、テクスト内の言説の展開に忠実にしたがいつつ、限られた数の鍵概念に考察の焦点を合わせ、それらが相互に反発、融合しながら、思想体系のダイナミズムを構成してゆくさまを再現する手法にある。ミクロなレベルの精緻な読みから開始され、語の意味の微妙な震動をとらえつつ、それらがしだいに螺旋的に次元を上昇し、やがて大きな安定的思想構造に帰着する運動を辿る思索は、余人の追随を許さぬ鋭敏な言語感覚によって支えられている。 概念の卓越した分析をなす井筒の研究に足りないものがあるとすれば、分析が概念を超えて、文やテクスト全体への広がりにまで及ばない点にある。そのため、著者性や読者性といったテクスト論は「東洋思想」の射程に入ってこない。それは言語のもつ行為遂行論的側面への配慮の不足であり、場合によっては社会性、歴史性、倫理性の欠如につながる可能性もある。 (注:本論は日本宗教学会第74回学術大会(2015.9.6創価大学)で発表した内容の英文版である。そのため本要旨は『宗教研究』第89巻別冊(2016.3発刊予定)所収の要旨と重なりがある)
著者
Shogo WATANABE
出版者
CHISAN-KANGAKU-KAI
雑誌
智山学報 (ISSN:02865661)
巻号頁・発行日
vol.65, pp.021-034, 2016 (Released:2019-02-22)
参考文献数
11

The Prajñāpāramitā-hrdaya[-sūtra](Heart Sūtra) was translated into Chinese and Tibetan, and it circulated mainly in the sphere of Northeast Asian Buddhism.Among the Chinese translations, that by Xuanzang 玄奘has been held in the highest regard, and almost all the commentaries on the Prajñāpāramitā-hrdaya composed in China, Korea, and Japan have been based on Xuanzangʼs translation. The extant Sanskrit manuscripts and the Tibetan translations, on the other hand, mostly belong to a different textual lineage from that of Xuanzangʼs translation. Consequently, in research on the Prajñāpāramitā-hrdaya in East Asia, the examination of the original Sanskrit text and Tibetan translations is still inadequate. There has also been much discussion about the position of the Prajñāpāramitāhrdaya, typical of which is the question of whether it is a sūtra expounding emptiness or a sūtra teaching a mantra. These questions are in fact related to the sūtraʼs title. As is well known, a famous mantra has been appended to the Prajñāpāramitā-hrdaya. Even though it does not in fact constitute a dhāranī, among the several designations of this sūtra there are some that declare it to be a dhāranī. How is one to view such inconsistencies? In this paper I shall examine the textual lineages of the Prajñāpāramitā-hrdaya and its position as seen from its title.