著者
Sharalyn Orbaugh
出版者
Japan Society for Animation Studies
雑誌
アニメーション研究 (ISSN:1347300X)
巻号頁・発行日
vol.21, no.2, pp.37-42, 2021-03-31 (Released:2021-11-06)
参考文献数
3

なぜカナダの学生は日本の漫画やアニメの研究を望むのでしょうか。アニメ映画が英語に相当するものがない日本語を使っていたり、北米文化には存在しない概念の文化的な言及を含んでいたりする場合、教員にとってどのような課題があるでしょうか。この論文は、著者がカナダの大学で日本のポップカルチャーを教えてきた15年間の経験をもとに、異文化コミュニケーションにおいて最も難しい分野の一つである、漫画やアニメのLGBTQのキャラクターに関する語彙、概念、談話を探究するものである。日本とカナダにおけるジェンダー・性・セクシュアリティの概念における不一致は、両文化の暗黙の仮定を考察する機会を提供するものであることを論じている。
著者
顔 暁暉
出版者
Japan Society for Animation Studies
雑誌
アニメーション研究 (ISSN:1347300X)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.111-125, 2020-09-30 (Released:2021-05-07)
参考文献数
20

本論文は、何度も繰り返される主題や、キャラクターに観客を同一化させる固有の視覚的特徴を持たないがゆえに、十全に論じられてはいない高畑作品の美的資質に着目し、彼の作品におけるキャラクターと世界の構築方法を明らかにする。高畑作品の意味は、作品関連グッズ販売やファン活動から派生していない。それはアニメーション自体に内在している。高畑は、お手軽なジャンルの枠組みのなかに留まらずに、幸せで、感情的に満足できる結末には至らない叙述を生み出し、アニメーションの大衆的な魅力とその消費に異を唱えた。本論文は、『アルプスの少女ハイジ』(1974)、『かぐや姫の物語』(2013)、『火垂るの墓』(1988)、『おもひでぽろぽろ』(1991)のシークェンスを詳細に検討し、アニメの構造と美学に関する規範に対する高畑の挑戦が、彼の制作過程の一部であり、彼の作品を際立つものにしていたことを明らかにする。
著者
Shintaro Matsunaga
出版者
Japan Society for Animation Studies
雑誌
アニメーション研究 (ISSN:1347300X)
巻号頁・発行日
vol.23, no.1, pp.29-40, 2023-01-31 (Released:2023-02-11)
参考文献数
25

日本のアニメ産業を支えるアニメーターの多くはフリーランサーとして働いていることが知られているが、彼らがどのようにして不安定性を含む労働に対処しているのかについては十分な議論がされてこなかった。本稿では、労働社会学で議論されてきた、複数の仕事の組み合わせ方を捉える「ポートフォリオワーク」の視点に基づき、アニメーターが日々の労働のなかで直面する無収入などのリスクに対して行っている個人的・集団的な対処について、スタジオでのエスノグラフィーに基づき明らかにした。アニメーターはしばしば当人に責任のない形で無収入になるリスクに晒されるが、ベテランについてはあらかじめそのリスクが顕在化する時期を見越して短期的な仕事を確保しておくなどの対処を行っていた。若手アニメーターはそうした対処が難しい場合があり、その場合はスタジオの支援を受けながら仕事を獲得していた。このことはフリーランサーであるアニメーターも組織の管理を受けることを意味するが、その管理はアニメーターが持つ作品制作に関わる意向が尊重されることを前提として成り立っていた。これらの知見は、アニメーターがフリーランサーとして働くことの意義を示しており、今後いかなる働き方がアニメーターに適しているのかを考察する際の参照点として有効である。
著者
胡智於 (珠珠)
出版者
Japan Society for Animation Studies
雑誌
アニメーション研究 (ISSN:1347300X)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.101-109, 2020-09-30 (Released:2021-05-07)

本稿は、私が以前書いたブログ記事『高畑勲(1935〜2018年)戦後アニメーションにおける卓越した存在感』(「アニメーションスタディーズ 2.0」2018年5月7日)を発展させたものである。このブログはアニメーションスタディーズ協会に属している。同協会のメンバーが編集者であるためである。ブログは、学者、アーティスト、ファンが自らの現在の考えを簡潔かつ迅速に発表できるインターネット空間となっている。そのため、関連する主題について深く洞察するには詳細に取り組むスペースは限られている。この機会を用いてアニメーションメディアとストーリーテリングの世界に対する高畑監督の貢献に対する私の認識をさらに深めたい。高畑監督のアニメーション映画に立ち戻り、戦後史における監督の経歴を再検討するが、その際、逸話でつづった記憶と彼の創造的な精神についての私の研究と理解を含んでいる。
著者
スーザン ネイピア
出版者
Japan Society for Animation Studies
雑誌
アニメーション研究 (ISSN:1347300X)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.127-135, 2020-09-30 (Released:2021-05-07)

本稿は、高畑勲の画期的な傑作である『かぐや姫の物語』を記憶、亡命、抵抗の役割の描出における観点から考察する。主として高畑の映画に焦点をあてる一方で、現代日本文学、日本のアニメーション、ディズニー映画の近年作『アナと雪の女王』の事例を取り上げ、記憶と亡命が近年の様々な文化形態においてどのように問題化されているかを示している。本稿の主要部分では、高畑が十世紀の原作の物語—故郷から仮の亡命における月の王女の物語—のほろ苦く諦めの境地を乗り越えて、真に革新的な芸術作品を創造しているのかを示す。原作に忠実であると同時に、高畑の映画はフェミニズムや環境破壊といった現代的な関心をはっきりと包含する情熱的な抵抗の核を含んでいる。高畑は、二つのオリジナルなシーンを追加することでこれを実現している。一つは、主人公が、父親の宮殿から脱出した自分の姿を幻想的に詳細に想像するときで、あからさまなフェミニストの抵抗である。第二の例では、高畑は、別の抵抗のビジョンを挿入する。この場合は音楽や子供そして歌詞を使用し、生命のビジョンや原作の物語の末尾にある運命的な諦念に感情的に挑む変更を提供している。