- 著者
-
山岸 智子
- 出版者
- 日本スポーツ社会学会
- 雑誌
- スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
- 巻号頁・発行日
- vol.18, no.2, pp.53-66, 2010-09-30 (Released:2016-10-05)
- 参考文献数
- 24
イランにおいては、20世紀前半から「健全な精神は健全な肉体に宿る」という考え方が広まり、学校体育と女性解放のための諸政策が導入された。女性のスポーツは、健全な社会と家族の健康のために必要と認められたが、女性の身体は繊細で優美なものであるべきとする身体観や家父長主義的な価値観も維持された。
1970年代からのイスラーム復興は、イラン・イスラーム共和国の樹立をもたらした。イスラーム復興は、それ以前の近代化を見直し、ジェンダー平等についても独自の対応をめざしている。イスラーム体制下でも、1991年ファーイェゼ・ハーシェミーはイスラーム女性スポーツ連盟を創設し、4回のイスラーム女性競技会などを開催した。
イスラームの命じる男女隔離と女性の頭髪や体を覆うヴェール(ヒジャーブ)をどのように実施するかについて、イランで政治問題化する一方、フランスなどでは公の場所でのヒジャーブ着用が規制されるようになった。こうしたヒジャーブをめぐる社会= 政治的環境において、イランの女子サッカーチームのユニフォーム問題が生じたのである。FIFAが認められるのはうなじの見えるキャップまでとされ、イラン体育協会はキャップをイスラーム的に適正とは認めがたいとした。その結果イランの女子サッカーチームは2010年ユースオリンピックへの参加が危ぶまれる状況にまで追いこまれた。この例はスポーツ機関をめぐる政治=社会的環境が、国際試合への参加をめぐる対立にまで至りうることを浮き彫りにしていると理解できる。