著者
増渕 文男
出版者
Japan Society of Civil Engineers
雑誌
土木史研究 (ISSN:09167293)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.119-122, 1991-06-05 (Released:2010-06-15)
参考文献数
5

日本の歴史に「横浜」が登場するのは江戸時代の幕末期で、港を中心とした横浜北部地域が中心であり、これが今日の横浜のイメージとして広く定着している。しかし南部地域にはこれより古い遺構がみられるようで、本研究は横浜南部の土本遺構を調べ、石橋の一橋「昇龍橋」について報告するものである。昇龍橋の架設位置は横浜市南部にある栄区の狙川上流部で、この河川には土木遺構として石橋の他に溜池、堰、及びずい道などがある。しかし、これらの遺構は付近の住民一部が知るだけで、一般的にはあまり知られていない。石橋の構造形式といえば九州の石橋があげられるが、昇龍橋はそれと類似性が少なく、何処の石工が建造したものか不明である。石材は当地の鎌倉産「今泉石」を使用しており、軽快な感じと独特な趣をもつ石橋である。架設年代は親柱に大正四年の刻印があり、かすかに読み取れるが、親柱と石橋本体とは石材が異なるので、まだ明確にはなっていない。石橋の建造には高度な技術が必要であるが、何故この地にその技術が展開されたかなど追究すべき点が多い。この周辺には江戸時代を中心に土木遺構が多く存在し、高度の技術力と文化、それを支える経済力を温存してきたが、近年になり衰退し開発事業の影響が心配される地域である。

言及状況

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横浜市栄区上郷町にある瀬上池(せがみのいけ)という溜池について、 いつつくられたかがわかる資料はありますか。

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