著者
渡辺 茂
出版者
日本重症心身障害学会
雑誌
日本重症心身障害学会誌 (ISSN:13431439)
巻号頁・発行日
vol.43, no.2, pp.218, 2018 (Released:2021-01-21)

ヒトの自己評価は自己と他者の相対評価に基づく。ヘンリー・ミラーは「大金持ちといえどもニューヨークでは不幸だ」といった。もっと大金持ちがいるからである。一茶は「秋風や、乞食は我を見較べる」と唱った。一茶は乞食よりも見窄らしいからである。社会的相対評価の生物学的基盤を検討するため、マウスで実験を行った。 1)嫌な経験も皆と一緒なら耐えられる これは日常的には経験することであるが、動物実験で調べた例はない。いくつかの方法でストレスの社会的修飾を実験した。拘束ストレスをかけると、コルチコステロンが上昇するが、仲間も一緒に拘束されていると上昇レベルが低い。ストレスの嫌悪性記憶の増強効果も調べた。マウスに拘束ストレスをかけてから受動回避条件づけを行うと嫌悪記憶が増強するが、仲間も一緒にストレスを受けるとこの効果は減弱する。ストレスを与えると体温が上昇することが知られている(SIH:ストレス誘導性高体温)。一匹で拘束されると体温の上昇が見られるが、仲間が同時に拘束されると、体温上昇が見られない。この結果はコルチコステロンや記憶増進作用の結果と一致する。このように、ストレスの公平性はストレスを減弱する効果がある。 2)動物の不公平嫌悪:負の不公平 不公平には2種類のものがある。自分だけが不利な「負の不公平」と、逆に自分だけが有利な「正の不公平」である。まず、負の不公平嫌悪が動物にもあるかを調べた。SIHを指標としてエサの不公平な配分の効果を実験した。マウスを空腹にしておき、ケージメイトにはチーズが与えられるが、自分には与えられない条件で体温を測ると明らかに体温が上昇する。しかし、自分も仲間もチーズが与えられる条件(公平条件)ではこのようなことがない。餌の不公平な配分はマウスにとってストレスなのである。面白いことに被験体のマウスに実験直前に十分チーズを与えるとSIHは見られなくなる。つまり、仲間には餌が与えられ、自分には与えられない、という条件そのものではなく、他者は幸せな状態であり、自分は不幸せな状態であることが不公平嫌悪を誘導するするのである。 次に、嫌悪事態での不公平嫌悪を調べてた。先ほどと同じ拘束ストレスを用いた。自分は拘束されているが、仲間は自由に周りを走り回っているというテストである。記憶増強効果は単独でストレスを受けるときよりさらに強くなる。コルチコステロン・レベルも上昇する。SIHでも皆が自由なのに一匹だけ拘束された場合にはさらに体温の上昇が顕著だった。すなわち、不公平はストレスを増強させる。言い換えればマウスでも不公平は嫌悪性があると言える。 3)動物の不公平嫌悪:正の不公平 ヒトは自分だけ有利であることを一定に嫌う。ただし、多くの社会心理学の実験はこの正の不公平嫌悪が負の不公平嫌悪よりずっと弱いことを示している。不公平を嫌うのは自分が不公平に不利な状態に置かれた場合に強い。先の餌の配分の実験で、被験体にはチーズが与えられ、仲間には与えられないようにする。SIHは多少認められるが統計的に有意な差ではない。拘束ストレスでも自分は自由で仲間が拘束されている状態ではSIHは認められない。つまり、マウスでは正の不公平嫌悪はほとんど認められなかった。 このように、ヒトの高次社会認知と思われる不公平嫌悪は動物においても、その基本的な現象はほぼ認められるのである。 略歴 学歴:1966年4月 慶應義塾大学文学部入学。1970年3月 慶應義塾大学文学部卒業。1970年4月 慶應義塾大学大学院社会学研究科心理学専攻修士課程入学。1975年3月 慶應義塾大学大学院社会学研究科心理学専攻博士課程修了。1979年3月 文学博士。 職歴:1973年4月~1981年3月 慶應義塾大学文学部助手。1981年4月~1989年3月 慶應義塾大学文学部助教授。1989年4月~ 慶應義塾大学文学部教授。2012年4月~ 慶應義塾大学文学部名誉教授、現在に至る。 受賞:1995年 イグ・ノーベル賞(Pigeons' discrimination of paintings by Monet and Picasso) 2017年 日本心理学会 国際・特別賞

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