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2009年河村市長当選時にマニフェストに関わった後房雄氏(名古屋市経営アドバイザーを2カ月弱で退任)の論文「ポピュリズム型首長の行政マネジメント―橋下徹と河村たかしの事例―」の中で、河村市長について局長クラスにインタビュー内容が河村市政を的確に語っています。 https://t.co/dJHD2tu4ix https://t.co/XtHM8firxG
〝政治家としての能力と人気は抜群である一方で、経営者としての能力と関心は極端に低い〟〝政治家としての能力も〟〝政治主導の行政経営を推進する面では乏しい〟〝「反公務員」首長のマネジメントの典型的な失敗事例というしかない〟#河村たかし https://t.co/tXGCZHjc2v
〝正規の意思決定ルートで物事が進まず〟〝直接担当者を呼んで指示することが多い。酔っぱらって居酒屋から電話することもある〟〝自分の当面考えていることをしゃべりまくる。その時期は、どこへ行っても同じ話ばかりする〟 #河村たかし https://t.co/tXGCZHjc2v
〝頻繁に人事権を行使し、直言する人を遠ざけ〟〝自分に従いそうな人を抜擢する〟〝現在では、市長に直言できる幹部は皆無〟〝決して責任を取らず、すべて他人のせいにする〟〝また、ほとんどが思い付きのアイデア〟 #河村たかし https://t.co/tXGCZHjc2v
前も紹介したけれど、河村初当選時の選挙ブレーンを務め、のちに袂を分かった後房雄の河村論文は必見です。◆ ポピュリズム型首長の行政マネジメント―橋下徹と河村たかしの事例(後房雄、2017年) https://t.co/tXGCZHjc2v
(1/2) これは、2010年1月に私自身が河村本人と直接に会話した際に、最もやりたいことは「議会解散」だと明言したことからも裏付けられる。 https://t.co/jWfYZQtbOx
(2/2) 河村が議会解散直接請求を最優先した背景には、それによって全国的な注目を集めて国政復帰を目指す意図があったことは確かではあるが、彼の一貫した最重要テーマが職業政治家批判であったことも疑いない。 https://t.co/jWfYZQtbOx
一部抜粋 地方はオール与党体制 公務員と組んで利権を確保することだけ それもこれも議員が職業になってしまったことが原因です。議員で生活することが目的になってしまったから、公務員と仲良くやっていくことしか考えない。行政のチェックなんてできるはずがないんです。 https://t.co/jWfYZQtbOx
市民を市が管理し、市を県が管理し、県を国が管理するような時代は終わりということだ。 それを、市民を市と県がサポートし、地域政府を中央政府がサポートするようなかたちに直す。それを実現させること、それをわしは『庶民革命』と呼ぶ。 https://t.co/jWfYZQtbOx
ワシは今でも自分のことを市長でなく古紙屋のオヤジだと思っとる。そういう庶民からすると税金でメシを食って極楽な生活を送っとる議員に対し『何様だ』という反骨心がある。 庶民革命というのは政治の自由を取り戻すとともに庶民から貴族に対するワシなりのリベンジなのだ https://t.co/jWfYZQtbOx
その2011議会解散だが、参考資料: ポピュリズム型首長の行政マネジメント ―橋下徹と河村たかしの事例― [PDF] https://t.co/mp0b9U4i59

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