著者
相原 嘉之
出版者
一般社団法人 日本考古学協会
雑誌
日本考古学 (ISSN:13408488)
巻号頁・発行日
vol.11, no.18, pp.171-180, 2004-11-01 (Released:2009-02-16)
参考文献数
16

飛鳥地域には謎の石造物と呼ばれる飛鳥石(石英閃緑岩)の彫刻加工石材が多く存在する。この中のひとつに「酒船石」がある。その用途・製作時期についても謎のままであるが,平成4年度にこの石造物のある丘の中腹で,奈良県天理市近郊で採石される凝灰岩質細粒砂岩切石で構築された石垣が発見された。遺跡が飛鳥宮の東方に位置し,天理市で採石される石材で石垣を構築していることから,『日本書紀』斉明2年是歳条に記載のある「宮の東の山に石を累ねて垣とす」,あるいは「両槻宮」に該当する遺跡として注目を浴びた。その後の調査でこの石垣は丘陵を取り巻くように700m以上にも及ぶことか判明してきた。さらに平成11年度には北側の谷底から亀形石槽を含む導水施設が見つかり,遺跡が7世紀から9世紀まで存続していたことがわかり,その性格についても重要な示唆を示すものとなった。これまで12年間,25次にわたる調査によって,遺跡は4つの地域に区分が可能である。これらは遺跡の範囲確認調査として実施してきたが,各地域によってその性格等が判明してきた。丘陵上の石垣はその構造からみて,防御施設よりも視覚を意識した構造であり,その中心に酒船石がある。築造時期は明言できないが,斉明朝として問題はなく,石垣の倒壊時期は天武朝の白鳳南海地震と推定できる。さらに丘陵西斜面の列石はその後改修されていることも判明した。北部地域では遺構の変遷が明らかとなり,斉明朝に造営され,その後天武朝に大規模な改修を経て,平安時代まで存続する。亀形石槽を含む導水施設は,その構造や立地から祭祀色が強く,斉明から持統朝にかけての天皇祭祀を実践した遺跡であると考えられる。一方,東部地域では,飛鳥東垣内遺跡で検出していた運河の上流部分を確認した。これまでの調査を検討すると,酒船石の丘陵東側から香具山の西側までのルートが復元でき,斉明2年是歳条にある狂心渠と対比されることになった。また,西部地域では7世紀後半から8世紀にかけての石組溝を検出し,飛鳥盆地東側の水を北へと流す基幹排水路と推定された。また,同時に出土した大量の木簡群から周辺に飛鳥宮の官衙が推定されるようになった。これらのことから酒船石遺跡は丘陵上及び北部地域が一体となって構成されており,『日本書紀』にも記される斉明朝に築造され,天武・持統朝まで継続的に使用された,天皇祭祀に関わる遺跡と考えられる。また,東部地域はこの遺跡に砂岩石材を運搬するための運河「狂心渠」を中心とした遺構群である。さらに西部地域は一部で丘陵部に関わる遺構もみられるが,主に飛鳥宮の官衙地区のひとつと推定できる。いずれにしても酒船石遺跡は律令制成立前後の天皇祭祀に関わる巨大な遺跡であり,律令国家形成過程における天皇祭祀の形態を研究する上でも重要である。

言及状況

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酒船石遺跡の発掘調査成果とその意義 - J-Stage(https://t.co/lC10mauOaP)によれば、酒船石遺跡は「奈良県天理市近郊で採石される凝灰岩質細粒砂岩切石で構築された石垣」を含む「天皇祭祀に関わる巨大な遺跡」のようです。

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編集者: 奈良たかし
2020-04-27 15:00:23 の編集で削除されたか、リンク先が変更された可能性があります。
編集者: 奈良たかし
2020-01-17 17:35:31 の編集で削除されたか、リンク先が変更された可能性があります。

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