著者
宮地 英敏
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.76, no.2, pp.203-224, 2010-08-25 (Released:2017-07-18)

本稿は,戦後の三菱端島の労働者を対象に,彼らの個票データを主たる史料として利用して,その出自・前歴・年齢などを分析することにより,炭鉱労働者の性格について考察した論文である。戦前以来の中四国から北部九州の炭鉱(特に坑内労働)へという労働移動は,戦後も引き続き数年間はみられたが,1950年代にはそれが南九州から北部九州へという労働移動に転じた。しかし石炭産業が構造不況業種となっていく中で,1950年代後半から末年にかけて農村からの労働力の吸引力は弱まり,中小炭鉱を含む他の炭鉱会社や関連業種などで働いた労働者たちの採用が増加していった。また,三菱端島での職種と前歴とのクロス分析では,農村出身者が低熟練の職種に就いたのに対して,他炭鉱などの経験者が相対的な熟練職種に就いていた。一方で工作見習や電工見習には,三菱端島労働者の子弟が大量に採用されるという傾向も抽出された。最後に,炭鉱労働者の「下降構造」というテーゼに対して,三菱端島のような大手炭鉱であっても,1960年代以降を中心に状況に応じて中小炭鉱経験者をも採用している点などを論じている。

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@TIOffoa1lny67Ii 1枚目は、全員のデータではないらしいが、参考まで。 2枚目の1945年の大幅な人員減少は、中国人と朝鮮人の労働者が、離職したため、と記されている 徴用だったら、離職できない。彼らは、離職が自由な普通の労働者だったのですなぁ。 https://t.co/khS0quyhIi https://t.co/8oRKjqqiCc

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