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投稿一覧(最新100件)
『近代土浦小史』によると、一色範疇の曾祖父 『範實』は、土屋陳直(土浦藩三代藩主)の子(三男) 『戸田氏純』の子で、その代に『一色』の姓を賜りました。
従って土屋氏=足利一門 一色氏なので、一色範疇は一色氏の子孫となります。
その他に『寛政重修諸家譜 第20冊 巻第八十八 土屋 (清和源氏 義家流足利氏)』の中に、土屋(戸田)氏純が『123コマ』に載っています。
https://dl.ndl.g ...
『近代土浦小史』によると、一色範疇の曾祖父 『範實』は、土屋陳直(土浦藩三代藩主)の子(三男) 『戸田氏純』の子で、その代に『一色』の姓を賜りました。
従って土屋氏=足利一門 一色氏なので、一色範疇は一色氏の子孫となります。
その他に『寛政重修諸家譜 第20冊 巻第八十八 土屋 (清和源氏 義家流足利氏)』の中に、土屋(戸田)氏純が『123コマ』に載っています。
https://dl.ndl.g ...
家紋とよりか紋様
名称は『伊勢外宮奉獻小車錦紋様』
伊勢壹志郡榊原村の榊原氏が用いたのが『榊原源氏車』。
その榊原氏は伊勢外宮の神官でもあり、この『伊勢外宮奉獻小車錦紋様』の紋様を取り入れたのが、『榊原源氏車』紋となりました。
◎故実叢書 織文図会 錦織物 (2コマ 小車錦)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/771938
大正二年発行『帝都旅館全集』
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951257/35
大正七年発行 『最新東京名所案内』より、当時の旅館と住所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/933060/129
大正二年発行『帝都旅館全集』
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/951257/35
大正七年発行 『最新東京名所案内』より、当時の旅館と住所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/933060/129
単なる憶測でなく、古書の史実資料として・・・
寛政重修家譜 柴田氏(109コマより記載)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2577380
勝家 某―権六 勝家の養子 十六歳にして京都にをいて自殺す
勝政 佐久間久右衛門盛次の三男 近江國・・・討死 年二十七
勝重 勝家没落のとき、・・北庄を立のき・・外祖父日根野高吉が許に養育せられ・・・
可能性は有りません。
そもそも森蘭丸(長定)には奥さんも子供もいません。
寛政重修家譜の森氏の蘭丸のところにも記載されていません。
あえていうならば、兄の長一には池田信輝の娘が嫁さんとしています。
森氏の子孫というならば、兄の森長一の子孫となります。
※寛政重修家譜 巻第百二十六 清和源氏義隆流 森氏
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2577322
寛政重修諸家譜によると、奧村姓では清和源氏頼光流の奥村氏、清和源氏頼親流の奥村氏、平氏支流の奥村氏の3系統が有ります。
その中の家紋でいうと頼光流の奥村氏は『入角蛇の目』と『蔦』、平氏支流の奥村氏は『角の内十二葉の八重菊』と『三鱗』、そして頼親流は『丸に九枚笹』と『釘抜』です。
その写真は『釘抜座に梃子(テコ)』の家紋ですので、清和源氏頼親流の奥村氏の系統かもしれません。
この奥村氏には奧村幸忠 ...
今のところ分かったまで・・・
藤原氏支流の竹本氏
系譜によると藤原秀郷の末裔。
竹本正重は徳川家康に仕え、天正十九年五月三日 武蔵国久米郡 (埼玉県所沢近辺)200石を拝領。
家紋は『釘抜』と『桔梗』
※寛政重修諸家譜 巻1520(巻225 28コマに掲載)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2577517?tocOpened=1
清和源氏頼光流の竹本氏 ...
今のところ分かったまで・・・
藤原氏支流の竹本氏
系譜によると藤原秀郷の末裔。
竹本正重は徳川家康に仕え、天正十九年五月三日 武蔵国久米郡 (埼玉県所沢近辺)200石を拝領。
家紋は『釘抜』と『桔梗』
※寛政重修諸家譜 巻1520(巻225 28コマに掲載)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2577517?tocOpened=1
清和源氏頼光流の竹本氏 ...
春分と秋分を中日として、前後三日間に行われるお彼岸は日本独特の行事です。
聖徳太子の時代に始まったといわれ、平安時代から朝廷で行われ、江戸時代には庶民にも定着しました。
『彼岸』は、迷いの岸である『此岸(しがん)』の反対の言葉で、『悟りの岸』という意味です。
『波羅密(はらみつ:サンスクリット語のパーラミターの音写)』は『到彼岸』と訳され、彼岸(悟りの岸)に至るために六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精 ...
色々調べた状況です。
日本紋章学(沼田頼輔 著書)では、藤原氏支流の『糸川』氏の家紋は『角のうちに抱き茗荷』を使用。
江戸時代の古文書の『寛政重修諸家譜』の『糸川』の項目にも同様に掲載しています。
糸川氏は紀伊家に仕え御目見以上の方で、役は御鷹匠をやっていたと調べた内容から書かれています。
寛政重修諸家譜 1520巻 (331巻 糸川 35コマに掲載)
https://dl.ndl.go.jp/ ...
日置(へき、ひおき他)は地名としては奈良、大阪、三重、千葉、福井、石川、新潟、富山、山口、熊本、鹿児島など全国各地に有ります。
日置は古代の職業の日置部から来ていることもあり、渡来系の方もいます。
この日置部とは暦や占いなどを行う職業で、今でいう天体や気象などを行った人です。
岐阜近辺でいえば、尾張国風土記に『尾張國海部郡日置郷』の有ります。
『垂仁天皇 品津別皇子、伝々 日置部組建岡君。
美 ...
渡来系の林さんならば、宮内庁などの『雅楽師』です。
701年に制定された大宝律令の時に雅楽の形式が決まり、『雅楽寮(うたのつかさ)』という雅楽を担当する役所が置かれました。
この役所の役人は『楽家(がくけ)』という代々、雅楽の技法を伝える家です。
その中に大和朝廷の古代豪族の流れをくむ家が有り、また大陸の音楽に通じた渡来系の楽家もいます。
その渡来系は朝鮮半島の高句麗王の子孫である『狛氏(こまし) ...
平安時代から九州に勢力を張った肥後国(熊本県)の大名が『菊池氏』です。
この菊池氏は藤原氏の流れをくむ氏族です。
領地は肥後国菊池郡(熊本県菊池市)で、この地名から菊池を姓にしました。
長期にわたって肥後一国をおさめていた菊池氏でしたが、戦国時代に大友宗麟に滅ぼされました。
しかし早い時期に本拠地を離れた分家の『菊池氏』もいて、それらの方たちが全国に散りました。
その為西日本では『菊池』の姓も多く ...
寛政重修諸家譜によれば、小笠原秀政の妻は岡崎三郎信康(松平信康)の息女と書かれています。
寛政重修諸家譜 小笠原
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2577336
秀政の項目/ 58コマ~63コマ
昭和4年(1929年)に出版された本です。
閲覧されたいのならば、国立国会図書館デジタルコレクションにあります。
国立国会図書館デジタルコレクション:末摘花秘話
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1137819
那須与一の那須氏の家紋は『一文字下た十六菊』。
国立国会図書館 デジタルライブラリー 寛政重修家譜 1520 〔173〕
コマ番号 83 巻第七三五 藤原氏長家流 那須
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2577465?tocOpened=1
寛政重修諸家譜の中に志村氏は『高階氏』と『清和源氏義光流 小笠原流』『未勘』の系統が有り、その中で小笠原流の志村氏が『丸に五丁子』と表示。
現在一般には『中輪に五丁子』と表現。
その中の文を抜粋すると・・・
清和源氏義光流 小笠原流 志村
叉左衛門昌之がとき席を貶され呈譜の列にあらずといへども、その子孫叉左衛門貞謙をし系圖をしてたてまつらして譜をつくる。
家傅にいはく、その先は伴 ...
寛政重修諸家譜の中に志村氏は『高階氏』と『清和源氏義光流 小笠原流』『未勘』の系統が有り、その中で小笠原流の志村氏が『丸に五丁子』と表示。
現在一般には『中輪に五丁子』と表現。
その中の文を抜粋すると・・・
清和源氏義光流 小笠原流 志村
叉左衛門昌之がとき席を貶され呈譜の列にあらずといへども、その子孫叉左衛門貞謙をし系圖をしてたてまつらして譜をつくる。
家傅にいはく、その先は伴 ...
寛政重修諸家譜を見る限り、豊臣と徳川、石田と徳川の間で、表立つ事も無く上手く乗り越えた人物。
無能な人では無い様に見えますね。
晩年の隠居後は台徳院からの御書も度々送られて来たと書かれていますから、徳川に取っても重要な方だったのでしょう。
その文章を下のサイトにありますので、小説や他人からの歴史解説とも違う史実の内容が書かれていますので、一度目を通されると宜しいでしょう。
国立国会図書 ...
家紋 祇園守のひとつ『銀杏祇園守』
ただ多少原型とは違うが・・・
祇園守とは京都の八坂神社で売っているお守りの事。
銀杏の葉は付いているが実体は不明。
諸説あるが謎の家紋。
大名の立花氏や池田氏は、十字をカムフラージュしてキリスト教のしるしとして用いてた。
また大名の小西氏も祇園守の家紋を用いている。
●立花飛騨守
国立国会図書館デジタルコレクション『大武鑑』コマ番号1 ...
『寛政重修諸家譜』に記載されている『織田』氏は『無の字』と表示されています。
国立国会図書館デジタルコレクション『寛政重修諸家譜』コマ番号53
巻第四八九 平氏清盛流 織田
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2577406?tocOpened=1
沼田頼輔 著の『日本紋章学』の中にも、『無文字紋は織田氏これを用いたり、』と表示されています。
...
調べたた結果、江戸時代の古書『寛政重修諸家譜 1520巻』に、加賀美氏の系図が出ていました。
下のアドレスで参考資料として閲覧して下さい。
国立国会図書館デジタルライブラリー『寛政重修諸家譜 第五十一冊』
巻第二百十九 清和源氏義光流 小笠原支流 加賀美 ―コマ番号57ー
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2577343?tocOpened=1
寛政重修諸家譜によると・・・
島津の初代忠久の母(丹後局)は源頼朝に仕えた人。
島津忠久は源頼朝から、文治元年(1185年)に左兵衛少尉につき、その年に伊勢国の須可、御庄、波出、御厨の地頭職に着き、そして文治三年に島津御庄(薩摩、大隅、日向の地頭)の下司職を賜り、後に守護職となりました。
寛政重修諸家譜 巻第百八 島津氏(国立国会図書館デジタルコレクション)
http://dl ...
参考として・・・
寛政重修諸家譜に平岩親吉の生涯の事が書かれています。
ご興味が有ればお読みになると良いのでは・・・。
国立国会図書館デジタルコレクション『寛政重修諸家譜 』 コマ番号88
巻第千百七十六 弓削氏 平岩氏
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2577558?tocOpened=1
剣菊四釜は天皇、皇族の紋章では有りません。
十六菊(本や著者によって十六葉菊などとも表記)の使用家は・・・
廣幡氏(正親町源氏)、本目氏(清和源氏義家流松平支流)、里見氏(清和源氏義家流新田支流)、岩松氏(清和源氏義家流新田支流)、喜連川氏(清和源氏義家流足利流)、宮原氏(清和源氏義家流足利流)、吉良氏(清和源氏義家流足利支流)、荒川氏(清和源氏義家流足利支流)、篠原氏(清和源氏義家流足利 ...
三っ盛蛇の目(三蛇目)
その家紋の使用家は清和源氏満季流の『林田』氏と、嵯峨源氏の『渡邊』氏。
林田氏は佐渡奉行の組頭をやった方。
国立国会図書館『寛政重修諸家譜 巻第千二百七二』コマ57 林田
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2577579?tocOpened=1
そして渡邊氏は三河松平家の松平清康に仕えた武士。
長州の渡邊氏を含めの殆どの渡 ...
三っ盛蛇の目(三蛇目)
その家紋の使用家は清和源氏満季流の『林田』氏と、嵯峨源氏の『渡邊』氏。
林田氏は佐渡奉行の組頭をやった方。
国立国会図書館『寛政重修諸家譜 巻第千二百七二』コマ57 林田
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2577579?tocOpened=1
そして渡邊氏は三河松平家の松平清康に仕えた武士。
長州の渡邊氏を含めの殆どの渡 ...
寛政重修諸家譜によれば、藤原氏 支流 出口氏の家紋は『桜に短冊』『三星』『舞鶴』
なお中でも短冊の家紋は、今のところ出口氏しか使用していない。
国立国会図書館デジタルコレクション 寛政重修諸家譜 巻第1481 出口氏 (31コマ)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2577623?tocOpened=1
参考として・・・
日本紋章学(沼田頼輔・著)に掲載されている『宮内』は藤原氏の流れ。
宮内掃部となる人物が宮内城を持っていた。
家紋は『藤丸』と『釘抜』
宮内城は阿波国(徳島県)にあり、今城跡は神社になっている(らしい)。
※宮内城関連
ブログhttps://ameblo.jp/4451777/entry-11994133600.html
同じ本の中にもうひとつ宮内氏が掲 ...
桓武平氏良文流の『柴崎氏』については調べると、武蔵七党のひとつ多賀谷氏に当たります。
七代目の多賀谷三郎光基となる人物が、柴崎氏の祖となり、また同じ祖として金子氏となります。
武蔵七党を少し述べると、平安後期に京都から下った中流貴族の子孫で、武蔵野を開拓し鎌倉幕府では重要な構成員になった中流武士の集団です。
武蔵七党
小野氏・・・横山党・猪俣党
平氏・・・・野与党・村山党
日奉(ひまつり)氏・ ...
江戸時代の文献「寛政重修諸家譜」全1520巻の84巻に旗本 諏訪氏の系図があります。
国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2577376?tocOpened=1
寛政重修諸家譜によれば海野氏と真田氏は同じ一族です。
真田幸村などで有名な真田氏ですが、真田氏の祖は海野氏です。
そして海野氏の家紋自体が六文銭で、海野氏の支流の真田氏がその家紋を使用しました。
六文(連)銭
六つの銭は仏教の六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を表わし、衆生を救う悲願のシンボル。
あの世にゆくとき三途の川の渡し賃が六文。
なおこの六文銭、自らの渡し賃として死の覚悟を示す ...
徳川十六将図で見る限り服部半蔵は【丸に並び矢筈】となります。
また服部氏の氏神神社である小宮神社の神紋も丸に並び矢筈ですので、氏子である服部半蔵もその紋を使用していたと思われます。
YouTube(徳川十六将図)
http://www.youtube.com/watch?v=pOFtx8KObU8
小宮神社
http://kamnavi.jp/en/mie/omiya.htm
...