人理修復を見守る歌仙兼定 (@KasenFgo1week)

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ううむ、忠興様の隠居領(小倉藩時代は中津、熊本藩時代は八代)は藩主権力を集中させる上で一定の効果を有した一方、隠居領の統治を巡り軋轢を引き起こしていた側面もある訳だ。(PDF) https://t.co/UBsduAedHR
島津家の文書も戦火や自然災害で多く失われていると聞くが、時の鹿児島県令が藩政時代の公文書を廃棄しているからねえ… https://t.co/Zb5d6Lzr6W https://t.co/mFecKdVFcX
ふと利休居士の「古今伝授を受けた身」と聞いて不思議に思い調べてみたら、どうも堺伝授と呼ばれる連歌師から堺の豪商に受け継がれた系統を伝える者の屋敷に利休居士が出入りしていた…らしい。(PDF注意) https://t.co/MU07BjhNUZ https://t.co/V5Ai0huYN3

2 0 0 0 OA 玩貨名物記

「玩貨名物記」には茶壷の部に「仙洞様御所 さほ姫」との記述があり、鬼武蔵から太閤殿下に進上された遺言状にある、沢姫茶壷ではないかとの指摘を読んだのだが…確かに記載があった https://t.co/9vJJnFvTmr https://t.co/XXwlBvpTfU
天文道にせよ暦道にせよ本来陰陽道は、中央政権と密接した技能である。 山城大和から離れた播磨で陰陽師がなぜ盛んなのか疑問だったのだが、どうも吉備真備が播磨と地縁があった事と姫路の広峰神社に牛頭天王を勧請した事で、播磨に古くから土着の陰陽道が根付いたらしい https://t.co/wqJiJcaDDT
…あー、明智と細川の間に丹後支配を巡ってそのような問題がねえ… https://t.co/svPHUkO4zY https://t.co/LrPjZMbrO5

1 0 0 0 OA 藩翰譜 12巻

…これは自分の目で確かめて貰う方が早いかな。ここの45こまの辺りだ。 https://t.co/huxUSjn6vP
藤原定家が後鳥羽院の勅勘を被った和歌があるそうだ。 「道のべの野原の柳したもえぬあはれ歎の煙くらべ」 「柳の下」とは魏晋時代の竹林の七賢が一人、嵆康が柳の木の下で屡々鍛冶を嗜んだ事、後鳥羽院が熱中した作刀を揶揄したという説がある。 https://t.co/Lb5dWYPkTm
その吉宗公は、恐らくは江戸の火災による古刀剣の消失を受けて、新刀の贈答儀礼を改革している事が伺われる。(PDF注意』 https://t.co/1AlX8mtLN4

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