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古川成俊「営業写真の50年の歩みに関するもの」『日本写真学会誌』 38 (1)。門外漢にもわかりやすく日本における写真の歴史を概観。個人的には関東大震災以降の国産資材の普及、1940頃からのカラー化の話が興味深かった。やはり1929年のナマハゲ写真は着色技師と断定できよう! https://t.co/stLUNkBsWJ
遠藤雅裕「中國語の色彩語彙"赤"の行方 -臺灣方言の色彩語彙體系を中心に-」(1996)。確かに現代中国においては青も赤もほとんど見聞きしない。議論の材料は不安に思えたが、寒色(暖色)全般を示すBCTとしての青(赤)が背景化し、藍や紅が前景化するという説は興味深い。 https://t.co/BV9tZ1ldH2
稲次敏郎ほか「中国・客家(ハッカ)民居調査報告」(1987)。調査期間は1986年3月22日から4月8日のうちの6日間ということで、東京芸術大学の研究グループと同じ。稲次たちは南靖側の地域をメインに調査するというすみ分けだろう。いずれにせよ中堂(祖堂)という表記なのだが。 https://t.co/mjtJfQQpqq
呂清夫「中国語と英語との色名に関する比較研究」『日本色彩学会誌』(1992)。色見本とはすなわち色の標準化と考えると、自然科学系の影響が強い中国の色譜が出たのが1957年、画家の王定理を中心に中国の伝統色が出たのが1986年。両者の目指す「標準化」が異なるのも肯ける。 https://t.co/prb3cLxynm
木本晴夫「中国色譜の成立背景およびロシア・ボンダルツェフ色譜との対比」『日本色彩学会誌』(2018)。中国の色譜は、新中国誕生以降の1957年に登場。自然科学系の影響を受けているため、ボンダルツェフとの関係が深そうに思いきや、オスワルトの方が影響関係は大きい。 https://t.co/L7ALnBXLdf
緒方康二「明治のころの小学校における色彩教育」『日本色彩学会誌』(1987)。日本における近代的な色彩教育が「輸入」される状況が丁寧に描かれる。ただ論文でも触れられているように実際は、色鉛筆、絵具などが揃わないため、教育としてどれほど影響を与えたかは未知数。 https://t.co/6H8BysXBYV

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