えどがわのしなちく (@yedokawa)

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25 0 0 0 OA 電氣鐵道

当時の電車の解説本「電氣鉄道」の台車に関するページには、ブリル21Eとペックハムの違いが述べられている。ペックハムのような構造は安くて修理はしやすいがへたり易く保守が甚だ面倒らしい。両者の現存する数を見ても納得いくところ。 https://t.co/gfm3u3siCr

1 0 0 0 グラヒック

「東京鉄道の新式ボギー車」として紹介される1121型ホヘ八のトップナンバー。小窓が消えてベンチレータになったのは雨漏り対策もあったようだ。確かに四輪車のヨテも小窓が廃されてる。 https://t.co/QgXKSSRL0B

2 0 0 0 船の科学

東海汽船のであれば船の科学第18巻5号にいろいろと…。 https://t.co/oh2w2V4wOx https://t.co/GclHFJ6AzK
法的な位置づけはこのあたりを参考にしたけど解釈あってるだろうか。 https://t.co/iFjDzugoPx https://t.co/BJjk23RLKy
おおー、国会図書館の閲覧サービスもう始まってるんだ。 建築の東京も公開されててうれしい。 https://t.co/yOUUIloJGJ
これ読んだらある程度疑問が解決できそう。困ったときの国会図書館デジタルライブラリ。 石油鑿井法解説 https://t.co/Q0ipHRhmtC

14 0 0 0 OA 日本近世造船史

探していた景福丸型(徳寿丸)の配置図をついに見つけたぞ!国会図書館デジタルアーカイブにあるとは灯台下暗し…。船名で検索かけてもひっかからないから気づかなかった。 https://t.co/4tlrTmgvvm

3 0 0 0 OA 官報

@yedokawa もう一つ裏付け。 車庫用地(宮下なので巣鴨車庫ではないはず)の土地収用公告の載る官報(大正8年) https://t.co/Z4JPgwJFlM 大正8年で用地取得されているので、車庫の移転は震災前に決まっていていたのでは?
「大塚自動車車庫新築に伴う旧軌道撤去」(昭和2年) https://t.co/TT3QKlLHws 「大塚自動車出張所、並修理工場新設其他諸設備」(昭和3年) https://t.co/NNgHeGY54K
「大塚自動車車庫新築に伴う旧軌道撤去」(昭和2年) https://t.co/TT3QKlLHws 「大塚自動車出張所、並修理工場新設其他諸設備」(昭和3年) https://t.co/NNgHeGY54K
「大塚電車課出張所新築他四廉工事」(大正11年) https://t.co/UoT5OIjSOf これはあのバス車庫の建物の工事のように見えるけれども、後の記録を見ると大塚駅前の新車庫の新築のことだと思われる。

4 0 0 0 OA 創業二十年史

やっぱり敷地が拡大、建物撤去されてレイアウト変わってますよね…。少なくとも営業所の建物は市営バス時代からのものなのは間違いないようです。 https://t.co/72qPUNmZlU
私も以前気になって調べたのですが、大塚電車課出張所は「最新式鉄筋コンクリートの為め地震の被害は殆ど無った」と『東京市電気局震災誌』で述べられていますが、晩年残ったあの建物群のこと指すのかわからないですね…。 https://t.co/kEtMx7mpH8
@yedokawa https://t.co/hVYL9fuCid これの11コマ目にも本社が写っていますが、本文を読む限り1940年の時点でも本社は巣鴨のようですね。 https://t.co/U1pKvkOOsI

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