著者
菅沼 聡
出版者
科学基礎論学会
雑誌
科学基礎論研究 (ISSN:00227668)
巻号頁・発行日
vol.25, no.2, pp.89-95, 1998-03-31
参考文献数
24

我々が経験科学の成果から学んだ (ないしは推測した) ことの一つに, 我々人類は全宇宙で共通に成り立っている自然法則の範囲内で生まれたものであり, またその人類の生まれ育った地球は, 数千億以上もの銀河の中のごくありふれた一つの中の, 数千億もの恒星のうちのこれまたごくありふれた一つの回りをまわる小さな天体にすぎない, ということがある。<BR>いわゆるコペルニクス的転回以後の科学の根底に流れるこのような自己相対化, 平等原理を推し進めれば, この広い宇宙に我々人類だけしか知的生命が存在しないと考えることはかなり不自然ではないか, という疑問が容易に浮かんでくる。実際, 宇宙人, つまり地球外の知的生命 (Extraterrestrial Intelligence, ETI) が存在するのではないか, とする発想の根底にあったのは, 基本的には常にこの疑問であった(1)。もっとも, 従来はこの発想は単なる空想の域を出ることはなかった。何しろ検証も反証もしようがなかったのであるから。<BR>だが, ここ数十年来の電波天文学をはじめとするさまざまな科学技術の発展によって, この発想は近年にわかに現実的な様相を帯びてきた。実際今日多くの科学者たちが, 地球外のどこかに知的生命が存在するか, もし存在するならどのような方法で彼らと交信したらよいかという問いをモチーフに, きわめて真面目に宇宙人探しを行いだしている。科学者たちによるこのような真面目な宇宙人探し-それがSETI (Search for Extraterrestrial Intelligence=地球外知的生命の探査) である。1960年前後に一部の天文学者たちによって始められたSETIは, その後さまざまな活動がなされることによって, 現在では科学研究としての市民権を得たと言っても言い過ぎではない(2)。<BR>1990年代に入ってからの諸動向(3)により, SETIはいよいよ多くの注目を浴びてきている。もちろん根強い懐疑論者もいるが, いまや科学界においてSETIが理論と実践の両面にわたって盛り上がっていることは間違いない。それは, 巷にあふれている「宇宙人もの」や「UFOもの」のような明らかに実証性を欠いた擬似科学とは厳密に区別されるべき, 真剣に検討されるべきテーマなのである(4)。<BR>だがその一方で, 哲学者たちのSETIに対する関心は相対的にきわめて低い状況にある。これは, SETIがさまざまな哲学的含蓄を含んでいることを考えると, 奇妙なことである。もちろん, ETIは存在しないかもしれないし, 少なくとも現在ETIの存在確認は全くなされていない。だが, 多くの科学者が考えているように将来におけるその存在確認の可能性が無視し得ない以上, 我々哲学者は前もって, 実際のETIに関する何のデータもない今だからこそむしろできるような一般的問題に関する議論の叩き台としての大枠を作っておくべきであろう。そこで本稿で我々は, それをとりわけ, 実際にETIの存在が見出だされた際に我々人類に起こり得る哲学的インパクトについてに限って試みる。そしてそれを通して, SETIがいかに重大な哲学的意義を含んでいるかを明らかにしたい。

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