著者
金折 裕司
出版者
一般社団法人 日本応用地質学会
雑誌
応用地質 (ISSN:02867737)
巻号頁・発行日
vol.51, no.4, pp.191-198, 2010-10-10
被引用文献数
2 1

高島得三(雅号北海)は徴兵として大阪にいるときに外国語を学ぶ必要性を痛感し, 明治5(1872)年, 23歳のときに当時フランス人鉱山師のいた生野銀山(生野学校)に仏語を学ぶために入り, 地質学に出会うことになる. 明治11(1878)年, 29歳のときに森林植物学に転向するまで, 約7年間地質学と地質調査に携わった. 正則の地質学を学んだ和田維四郎の示唆によって森林植物学に転じることになるが, 得三としては実地調査で山河を歩き回ることができれば, 地質学でも森林植物学でも良かったのであろう. そういう意味では, フィールドワークをこよなく愛していたと言えよう. さらに, 得三は若い頃に学んだ地質学と地質調査で培った自然観察眼が画家として大成させたと回顧している. 地位や名誉を欲せず, フィールドワークを重視した得三に現在でもなお学ぶべき点は多い.

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編集者: 山田晴通
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