- 著者
 
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             立平 進
             
          
 
          
          
          - 出版者
 
          - 長崎国際大学
 
          
          
          - 雑誌
 
          - 長崎国際大学論叢 (ISSN:13464094)
 
          
          
          - 巻号頁・発行日
 
          - vol.2, pp.91-99, 2002-01-31 
 
          
          
          
        
        
        
        遠く,故郷を離れて,海を旅する人たちがいた。沖縄糸満の漁師たちは,黒潮に乗って高知県・三重県・千葉県沖へと出漁し,九州の西海岸沿いには対馬暖流で長崎県五島列島・対馬などへ出漁している。また,それとは別に,海外へは,台湾を経て,東南アジア・フィリピン諸島・ボルネオ・セレベス・マレー半島・スマトラへと出漁している。それが昭和20年の終戦を期にすべて終決したのである。本稿では,その中の一地域である,長崎県の沿岸域について記すことになる。そのきっかけとなったのは,糸満漁民の足跡とでもいうべき,ある行動の軌跡を文化財調査の折に確認したことからである。あるモノとは,沖縄糸満の漁師が,ビロウ樹の若芽を,追い込み漁のオドシとして使用するため,これを剥ぎ取るとき,ビロウ樹の幹に登った足跡が残されていたのである。足跡といっても,幹に登るための足掛かりとなる段々(決り込み)を付けたものであるが,それが漁民の移動を証明するものであることは一目瞭然であった。この足跡の主を求めて沖縄糸満の調査を実施したのである。筆者らが行なう民俗学的な調査では,聞き取り調査が主たる手段になるが,このように物証として残る場合はまれで,筆者にとっては衝撃的なできごとであった。結果的には,平戸の阿値賀島に上陸した人の証言を得ることができたため,聞き取り(伝承)と物証が一致したのである。