著者
橘 智子
出版者
川崎医療福祉大学
雑誌
川崎医療福祉学会誌 (ISSN:09174605)
巻号頁・発行日
vol.2, no.2, pp.209-219, 1992

トマス・ハーディ(Thomas Hardy)は19世紀末英国文壇の偉大な小説家として名声を得た後,詩作に情熱を傾注した。おおよそ1000篇の詩を世に問い,現代詩人の萌芽を内包する個性的で特異な詩人として高い評価を受けている。詩のテーマは多種多様であるが,とりわけ生と死,死後の世界,墓地,幽霊をテーマに近代から現代に即した内容で多くの詩を書いている。ハーディーは若い頃,キリスト教の信仰を喪失し,加えて,ダーウィンの『種の起源』やショーペンハウアーの『無神論』,『内在性』に感化され,世紀末から20世紀初頭へのペシミズムに傾倒する。従って死者にキリスト教的死後の生命を与える希望が持てず,シェイクスピアやブラウニングのように死後の不滅を楽観的にうたい上げることができなかった。そして不滅を求めて深いペシミズムと限りない回生の希望の狭間で揺れ動き,その揺曳の果てに死後の魂の行方を希求して彼独自の工夫と観想をこらし作詩する。やがてハーディーは,死は生の否定であるとする生と死のパラドックスから脱却し,それを矛盾しない一体のもので不可分と考えるようになる。つまり生は死に向かって間断なく移行するプロセスに過ぎないと止観する。老齢と共に微妙に変化するハーディーの生死観は一層次元の高いものとなり,相矛盾する概念を止揚して,幽明の問に詩的効果を出している。しかしハーディーの生死観の根底をなすものは, 全て生あるものは個としては滅びるが,種としては不滅であるという「生の循環」論であり,宇宙観であると言えよう。

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