著者
橘 智子
出版者
川崎医療福祉大学
雑誌
川崎医療福祉学会誌 (ISSN:09174605)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.49-56, 1993

「選ばれし女性たち」は, やや怪気的な幻想風の物語詩である.主人公の回想によって過去に五人の女性との不毛の恋愛を匂わせながら,実は唯一人の理想の女性を希求しての観念的な愛の遍歴である.つまり女性に対する自我理想の投影と追求であり, 永遠に満たされない結果的ドンファンの物語である.この小論では, 五人の女性の顔が融合して変容する六番目の「理想の女性」が現実のものではなく, 男性のidealizationによる幻影であるとして捉え, 五人が合体して初めて「究極の女性」になりうるとの比喩の観点からこの詩を論じる.
著者
橘 智子
出版者
川崎医療福祉大学
雑誌
川崎医療福祉学会誌 (ISSN:09174605)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.15-23, 1991-10-11

『エセルバータの手』(The Hand of Ethelberta)でトマス・ハーディ(ThomasHardy)はシェイクスピア風の貴族社会を風刺した軽いタッチの喜劇を書こうとしてか, 副題に『数章から成る喜劇』と付加しているが, 失敗作としてその評価は極めて低く, minor novelに分類されている.しかし, ヒロイン・エセルバータは, Hardyが創造した他の女性たちより興味深くユニークな存在である.家族のために恋人を諦めて裕福な老貴族と結婚する自己犠牲的行為は, 人身御供として本来ならテスの場合のように悲劇的であるが, エセルバータの場合, 考えようによっては, 環境の犠牲者(召使いの娘として, 10人の兄弟姉妹の5番目に生まれたという)とも言えるが, 彼女の自尊心及び虚栄心がらみの野心にのっとり, 自ら選んだ道を邁進し, 子爵夫人として夫も財産も管理・支配する姿には, 悲劇よりむしろしたたかな生命力を感じる.この小論では, 19世紀の時代背景と, その思潮に触れ, ヒロインが職業で果し得なかった女性の自立, 並びに持てる才能の開花を結婚によってどのように達成し維持していくか, 彼ざま女の生き様を「新しい女」と位置づけ論を進めていく.
著者
橘 智子
出版者
川崎医療福祉大学
雑誌
川崎医療福祉学会誌 (ISSN:09174605)
巻号頁・発行日
vol.2, no.2, pp.209-219, 1992

トマス・ハーディ(Thomas Hardy)は19世紀末英国文壇の偉大な小説家として名声を得た後,詩作に情熱を傾注した。おおよそ1000篇の詩を世に問い,現代詩人の萌芽を内包する個性的で特異な詩人として高い評価を受けている。詩のテーマは多種多様であるが,とりわけ生と死,死後の世界,墓地,幽霊をテーマに近代から現代に即した内容で多くの詩を書いている。ハーディーは若い頃,キリスト教の信仰を喪失し,加えて,ダーウィンの『種の起源』やショーペンハウアーの『無神論』,『内在性』に感化され,世紀末から20世紀初頭へのペシミズムに傾倒する。従って死者にキリスト教的死後の生命を与える希望が持てず,シェイクスピアやブラウニングのように死後の不滅を楽観的にうたい上げることができなかった。そして不滅を求めて深いペシミズムと限りない回生の希望の狭間で揺れ動き,その揺曳の果てに死後の魂の行方を希求して彼独自の工夫と観想をこらし作詩する。やがてハーディーは,死は生の否定であるとする生と死のパラドックスから脱却し,それを矛盾しない一体のもので不可分と考えるようになる。つまり生は死に向かって間断なく移行するプロセスに過ぎないと止観する。老齢と共に微妙に変化するハーディーの生死観は一層次元の高いものとなり,相矛盾する概念を止揚して,幽明の問に詩的効果を出している。しかしハーディーの生死観の根底をなすものは, 全て生あるものは個としては滅びるが,種としては不滅であるという「生の循環」論であり,宇宙観であると言えよう。