著者
緒方 茂樹
出版者
広島大学
雑誌
Memoirs of the Faculty of Integrated Arts and Sciences, Hiroshima University. IV, Science reports : studies of fundamental and environmental sciences (ISSN:13408364)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.219-222, 1997-12-28

第1章序論 音楽がもつ治療効果を巧みに用いた音楽療法の技術にみられるように,音楽は生体の心身両面に対してきわめて効果的な影響を及ぼしうる媒体である。音楽行動のひとつである鑑賞という場面を考えた場合,そこにはまず音楽があり,次に聞き手としての生体の存在がある。聞き手にとって音楽は外部環境として捉えられ,一方で生体自身がもつ内部環境として,身体の生理過程が作り出す生理的状態と,それに密接に結びつく意識あるいは心理的状態が存在する。特に受動的音楽鑑賞という音楽行動において,身体的には静的な状態におかれている場合が多く,その際の生理的状態である覚醒水準は容易に低下する可能性があると考えられる。一方,心理的状態は,まず外部環境としての音楽自体と接することに対して動機づけられた態度,すなわち心理的「構え」のあり方が問題とされねばならない。その上で,主観的な報告として聞き手が外部環境としての音楽を享受していたとするならば,そこには音楽に対する興味や注意,あるいは情緒的反応のような特異的な心理的状態の存在を推定することができる。本研究の目的は,音楽を鑑賞することによって生じる心理的状態の変動を,生理的状態の変動から客観的に明らかにすることが可能かを検証することにある。この領域における従来の研究の多くは,音楽鑑賞時に明らかな覚醒を維持した状態のみを資料として扱っており,生理的状態の変動である覚醒水準の変動そのものを取り扱った研究はみられない。本研究では従来の考察枠組みに対する反省に基づき,脳波を生理的状態の指標とし,音楽が生体に与える影響を一連の覚醒水準の変動として捉えた。一方で生体の心理的状態の変化を知るために,音楽に対する聞き手の主観的な体験についても同時に求めた。この生理的状態と心理的状態の関係から,受動的音楽鑑賞時における生体の覚醒水準の変動について検討を試みた。このことによって,精神生理学の分野にあって未だ包括的な知見が得られていないこの領域において,音楽療法あるいは環境心理学等に関わる基礎的な理論構築に有効な所見が得られるものと考えられる。第2章実験1. 音響的環境条件と心理的「構え」が脳波的覚醒水準に及ぼす影響 本研究ではまず,受動的音楽鑑賞時における生体の全般的な覚醒水準の変動パタンを把握するための実験的検討を行った(実験1)。実験場面,すなわち外的環境は聞き手にとって可能な限り演奏会会場に近い,自然な音楽鑑賞の場面を設定するよう努めた。対照条件は,従来行われてきた研究との比較のために無音響と一定音圧の白色雑音を用いた。さらに実験中の入眠について統制する心理的「構え」に関する条件を付加した。受動的音楽鑑賞時において,生体の覚醒水準は明らかな覚醒状態を維持するとは限らず,半睡状態(入眠移行期,段階S1)にあることが多いことが明らかとなった。さらに主観的体験として被験者は「睡眠状態にあった」とする自覚体験に乏しいことも明らかとなった。また実験中に可能な限り覚醒状態を維持するよう求めた場合(心理的「構え」の条件),脳波的にみて特徴的な所見が認められた。すなわち,音楽鑑賞時と白色雑音聴取時の間の脳波活動の相違は,特に入眠移行期において認められ,その相違は少ないが,徐波帯域成分値あるいはスペクトル構造の相違として捉えることができた。このことは,音楽を鑑賞することによって鎮静効果がもたらされた可能性を示唆するものである。一方,各脳波的覚醒段階の出現比率に関しては,音楽鑑賞時と対照条件との間に有意な量的差異が認められなかった。従来の研究の多くが用いてきた一定音圧の白色雑音は,対照刺激としての妥当性に問題があった可能性がある。今後は,生体の覚醒水準の変動に直接的に影響を及ぼす,楽曲に固有の音響的な要素(音圧等)を統制する方法論的な工夫が不可欠である。第3章楽曲の定量化と新たな対照刺激の開発 脳幹網様体賦活系の働きを重視する古典的な理論では,覚醒水準は刺激入力の強さあるいは量に依存して変動すると考えられている。ここで音楽のもつ物理音響的側面からみた3大要素には,高低(pitch),音圧(loudness),音色(timbre)がある。音楽という外部環境が,生体の内部環境である覚醒水準に影響を与える場合,刺激入力の量あるいは強さは,これらのうち音圧の要素が最も直接的に関わっていると考えられる。このことから本研究では,まず音圧の要素に着目した楽曲の定量化を試み,次に楽曲のもつ音圧の時間的な変動をシミュレートした白色雑音を出力させる変調装置を開発した。この変調装置は,元の楽曲のもつ音圧変動を選択的に抽出し,その変動パタンに従って,一定音圧の白色雑音を変調するものである。このことから,元の楽曲と同一の音圧変動をもつ白色雑音を,対照刺激として呈示することが可能となった(変調雑音)。

言及状況

外部データベース (DOI)

Twitter (1 users, 1 posts, 0 favorites)

収集済み URL リスト