著者
有馬 善一
出版者
摂南大学
雑誌
経営情報研究 : 摂南大学経営情報学部論集 (ISSN:13402617)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.63-76, 2003-07

本論文が目指すのは、形而上学的な問題系の現代的意義を明らかにすることを念頭に置きつつ、ハイデガーの存在の思惟に対して形而上学がどのような意義を持っていたかを明らかにすることである。そのための準備作業として、まず、アリストテレスの「形而上学」の成立にまつわる困難、すなわち神学と存在論の二重性の問題が取り上げられる。次に、ハイデガーが存在への問いを遂行する過程で、存在論の存在者的根拠としての現存在へと定位した「現存在分析論」の独自の意義が「いかに存在」の「形式的告示」という点にあったことが明らかにされる。最後に、存在の問いにおいて「全体における存在者」の問題化という事態が出来することによって、形而上学の二重性がハイデガーにおいても問題となることが示される。

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