- 著者
-
飯野 守
- 出版者
- 文教大学女子短期大学部
- 雑誌
- 研究紀要 (ISSN:03855309)
- 巻号頁・発行日
- vol.42, pp.1-9, 1998-12
1982年3月に山形県の最上郡金山町で初めて公文書公開条例が制定されて以降、地方公共団体に次々に情報公開を制度化する条例が制定された。そして、1998年6月には、愛媛県でも県情報公開条例が制定され、すべての都道府県が情報公開条例を持つに至った。 一方、1996年12月には、国レベルでも情報公開法要綱案(最終報告)が公表され、さらに、1998年3月には、この要綱案の内容にほぼ沿った「行政機関の保有する情報の公開に関する法律案」(以下、情報公開法案とする)が政府の手により国会に上程された。同法案は第142国会では惜しくも継続審議になったものの、後の小渕新首相の所信表明演説でも取り上げられており、成立の可能性は十分である。この法案が実際に成立すれば、日本の法制度および行政の歴史上画期的なこととなる。 けれども、多くのメディアや研究者が注目したように、同法案は、その目的規定中に「知る権利」を明記するものとはならなかった。このことは法案の法的効果を考える上でどのような意味を持つのだろうか。このことを検討する文献はすでに多数に及ぶが、情報公開はかねてより関心を持ち続けてきたテーマであるので、この機会に私見をまとめておくこととしたい。 以下、第2章では、情報公開制度と政府が提出した情報公開法案について概観したうえで、第3章で、情報公開制度と「知る権利」との関係を検討することとする。