- 著者
-
杉谷 修一
- 出版者
- 西南女学院大学
- 雑誌
- 西南女学院大学紀要 (ISSN:13426354)
- 巻号頁・発行日
- vol.9, pp.43-49, 2005-02-28
子どもの遊びを記述するときには、特定の遊びのルールに支配された活動を中心に据えるという方法がしぼしば採用される。しかし彼らが何を遊んでいるかよりも、どのように遊んでいるかということの方が重要な問題である。遊びを観察する際に感じるとまどいの原因のひとつとして、子どもたちの遊びが拡散的会話場として成立している可能性があげられる。つまり観察者が予想しないような場所から発話がなされたり、また当たり前のようにそれに応答するのである。このような性質は遊びのカテゴリーによる説明を当てはめることが困難な上、カテゴリーとそれを規定するルールに準拠することからのズレというネガティヴな形でしか記述することができないという特徴を持っている。そのためルールに従うという明確な枠組みを持つ相互行為の外側にある行為は残余として処理されたり、表出的な機能として独立したカテゴリーを与えられることになる。従来の観点からすれば残余である周辺的相互行為が、実は子どもの遊びにとって重要な意味を持っているということは、拡散的会話場における遊びの概念図を用いて説明することが出来る。観察対象としての遊びが展開する場面全体は、焦点化された相互行為と周辺的相互行為の二つの部分に区別される。この両者の関係がどのように変北するのかという点に注目することで六つのパターンが構成される。それぞれのパターンは両者の境界の維持・変更・解体・再構成といった局面に対応している。いずれの場合もある相互行為は他の相互行為と相互に影響しあっている。その意味で特定の焦点を持つ相互行為が特権的にその遊びの本質的部分を代表していると判断する根拠はないといえる。