著者
杉谷 修一
出版者
西南女学院大学
雑誌
西南女学院大学紀要 (ISSN:13426354)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.45-51, 2004-03-29

本稿の目的は子どもの遊びがメンバー間でどのように成立するかを検討する事にある。そのためにはまず適切な分析単位を定める必要がある。遊びのルーティンからの相互作用の方向がズレる局面に焦点を当てるためには、単一のエピソードを分析単位とするのが適切であろう。我々がルールや規範といった用語で相互行為を説明しないのは、行為が実体的な構造によって決定されているという意味合いを避けるためである。そのために成員カテゴリー化と呼ばれるエスノメソドロジーの概念を検討したい。ある行為者によって申し出られた自己-カテゴリーは相互行為の参加者によって受諾、もしくは拒否される。この反応は同時に自分自身の自己-カテゴリーの申し出を意味する。つまり既存のカテゴリーに合わせて行為を行うのではなく、相互行為の遂行によって成員カテゴリーが達成されるのだ。カテゴリー化を子どもの遊びのエピソードに適応してみると、カテゴリー化が明確な形で成立しないことも多い。しかしこの結果はむしろ、カテゴリー化の概念が遊びの分析に重要な意味を持つことを示している。それは遊びの曖昧さ自体を分析対象とする可能性を秘めている。また子どもの成長と言う観点から、達成されなかったカテゴリーも重要な意味を持っているかもしれない。
著者
柳澤 伸一
出版者
西南女学院大学
雑誌
西南女学院大学紀要 (ISSN:13426354)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.57-65, 2005

通説によれば、ブルゴーニュ戦争(1474〜77)は、スイス誓約同盟が、強力な軍事力を以ってヨーロッパの列強に伍す契機となり、神聖ローマ帝国からの独立に向けて土台を築いた事件とされる。しかし、誓約同盟は、対戦相手、ブルゴーニュのシャルル突進公を「西洋のトルコ人」と呼び、この戦争を、トルコの脅威からキリスト教世界としての帝国を守る十字軍の一環と位置付けて、帝国を守る使命を負うドイツ国民の一員として戦ったのである。このように、ブルゴーニュ戦争期のスイスに、帝国と帝国を担うドイツ国民とに帰属するとの意識を認めうるとすれば、この戦争をスイスが帝国から独立する趨勢の中で理解しようとする通説には、見直しが必要になる。また、誓約同盟が、ドイツ国民の中で、領邦君主のいない共同体的な国家の形成という独自な歴史を歩んできたことは確かだとしても、誓約同盟の指導層は、自分たちのことを、神に選ばれた正当な支配者という点で、領邦君主をはじめとするドイツの他の等族と変わるところがないとも意識していたのである。
著者
杉谷 修一
出版者
西南女学院大学
雑誌
西南女学院大学紀要 (ISSN:13426354)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.82-89, 2003-03-29

ルーティンという概念は遊びの創造性を分析するにはふさわしくないように思える。実際遊びにおいて行われる活動はルーティンの規則によって統制されている。しかし,規則とは秩序を構成し,行為を説明可能で観察可能なものにするために用いられる。すなわち,我々はある範囲内で自由に振る舞えるだけでなく,ルーティンを構成することさえ可能なのだ。規則が行為内容をどの程度認めてくれるかによって,参加者はルーティンとそれぞれ違った関係を持つことになる。野球のような組織化された遊びはめったに自由にさせてはくれない。なぜなら,そこでの役割が相互に関係し会っているからだ。だが,規則が具体的な行為を完全に決定してしまう事はできないし,規則は創造的活動にとって本来不可欠な存在である。また緩やかに構成された規則を持つルーティンはそれほど長時間にわたって持続することはない。そしてそこでは事前にルーティンに関する知識を学習することはない。そのため参加者は即興的にルーティンを作り上げなければならなくなる。また,日常におけるルーティン活動の中には遊びに関する様々な要素がみられる。諸要素はしばしば互いにぶつかり合い,そのルーティンは効率を求めているようには見えない。「インスクリプション」は相互作用の秩序を構成するための道具である。我々はこの概念を遊びのルーティン分析に適用することができる。遊びのルーティンにおいて,インスクリプションは明示的な実態ではなく隠されたリソース-例えば身体技法のような-なのである。インスクリプションのこの際だった特質が遊びのルーティンに何らかの影響を与える可能性がある。
著者
戸田 由美
出版者
西南女学院大学
雑誌
西南女学院大学紀要 (ISSN:13426354)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.153-164, 2006-02-28

漱石作品の面白さはその「意外性」にある。この稿では特に、前期作品の共通の問題点である「主人公」不在についての考察を通して「意外性のもつ意味」、「見立てのイメージ」について論じてみようと思う。またそこから進展した「は」と「が」の問題を解明することによって作品世界に横たわるメタ・メッセージを提示したい。
著者
柳澤 伸一
出版者
西南女学院大学
雑誌
西南女学院大学紀要 (ISSN:13426354)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.31-39, 2006-02-28

通説は、スイス誓約同盟が、1499年のシュヴァーベン・スイス戦争に勝利することで、神聖ローマ帝国から事実上独立できた、とする。皆川の近著も、この通説を踏襲している。すなわち、誓約同盟のベルン市の一市民、レープリンがシュヴァーベン同盟のウルム市に対して行ったフェーデを例証として、帝国から独立した誓約同盟と帝国内のシュヴァーベン同盟との間には、帝国の司法の場を含めて、いかなる共通の裁判権威も存在せず、紛争を解決するには、政治交渉か暴力の道しか残されていなかったと断じ、両者の関係を国際関係と結論付けるのである。しかし、誓約同盟とシュヴァーベン同盟の間にいかなる共通の裁判権威もなかったと決め付けることは早計である。というのは、皆川が論拠としているレーブリン家のフェーデ自体、仲裁裁判によって解決の道筋を付けられたこと、1495年以降に誓約同盟に加盟した諸邦とその市民の場合、長く帝国最高法院を免れなかったこと、属邦の場合、自己の存立を確保する上で帝国最高法院に依拠し、その維持費の支払いにも進んで応じたことを確認できるからである。また、両者の問では、対立性よりも共通性の方が目立った。というのは、1499年の戦争を除けば、平和共存が常態だったし、帝国都市が本質的な構成部分であり、その寡頭化とオーブリッヒカイト化が進行するという特徴が共通するからである。
著者
金谷 めぐみ 植田 浩司
出版者
西南女学院大学
雑誌
西南女学院大学紀要 (ISSN:13426354)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.59-70, 2018

キリシタン音楽、カトリックの讃美の歌声が日本から消えて200 有余年(鎖国・禁教時代)、ペリーの来航(1853)を機に、幕末・明治の開国の時代を迎えた。明治新政府は、キリスト教禁止の幕府政策を継承したが、明治6年に禁教令を廃止し、信教の自由を認めた。来日したカトリック教会と正教会、そしてプロテスタント教会の宣教師たちは、西洋文明を伝え、キリスト教の伝道と教育活動を展開し、日本の社会はキリスト教とその音楽に再会した。 日本における礼拝を執り行うために、また日本人が讃美するために、各教会は聖歌集および讃美歌集を出版した。とくにプロテスタント教会の讃美歌の編集では、日本語と英語の性質の異なる言語において、五線譜の曲に英語を翻訳した日本語の歌詞をつけて、曲と歌詞とのフレージングとアクセントを合わせることに努力が払われた。 本総説において、著者らは、明治時代に日本で歌われたカトリックの聖歌と正教会の聖歌、そしてプロテスタント教会の讃美歌について楽譜付讃美歌が出版された経緯を記し、文献的考察を行った。
著者
横林 宙世 ウールブライト L.デニス
出版者
西南女学院大学
雑誌
西南女学院大学紀要 (ISSN:13426354)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.107-120, 2006-02-28

オーストラリア、クイーンズランド州、トウーンバ市の私立初等・中等学校四校の日本語学習者のBeliefを調査し、全体の傾向、必修・選択別、学校別、男子校・女子校・共学校という学校の属性別の特徴を検討した。併せて、世界3位の学習者数を持ち、そのほとんどが初等・中等教育課程の学習者であるにも関わらず、知られることの少ない教育の実態も紹介し、それが学習者のBeliefにどのような影響を与えている可能性があるかについても検討した。調査の結果、公立校と比較して自由なカリキュラムを組める私立校では「国際理解・異文化理解、日本との親善・交流を深める」という初等・中等教育の学習目標が達成されていること、しばしば指摘される学習者の動機づけの低さ、不熱心さややる気のなさに関しては、対象学習者は高い動機づけと期待を示した。
著者
金谷 めぐみ 植田 浩司
出版者
西南女学院大学
雑誌
西南女学院大学紀要 (ISSN:13426354)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.29-36, 2019

モーツァルト(W.A.Mozart, 1756-1791)の《声楽のためのソルフェージュSolfeggien für eine Singstimme K.393(385b)》(以下、《ソルフェージュ》)は、1782 年に作曲された。ユニヴァーサル社の楽譜《ソルフェージュと声楽練習Solfeggien und Gesangsübungen K.-V.393》には「ソルフェージュ1、-2、-3、- 断片、および声楽のための練習曲」の5 曲が収められている。スワロフスキー(Hans Swarowsky, 1899-1975)は、この楽譜の序文に「これらの《ソルフェージュ》にはモーツァルトのオペラの登場人物「コンスタンツェ(《後宮からの逃走 Die Entführung aus dem Serail K.384》)、コンテッサ(《フィガロの結婚 Le nozze di Figaro K.492》)、ドンナ・アンナおよびドンナ・エルヴィラ(《ドン・ジョヴァンニ Don Giovanni K.527》)、フィオルディリージおよびドラベッラ(《コシ・ファン・トゥッテ Così fan tutte K.588》)、夜の女王(《魔笛 Die Zauberflöte K.620》)を歌うのに必要なテクニックをすべて含んでいる」と記している(以下、原題を略)。冒頭のコンスタンツェが登場するジングシュピール《後宮からの逃走 K.384》は、《ソルフェージュ》と同じ年に作曲・初演された。 本論文では、モーツァルトのジングシュピール《後宮からの逃走 K.384》作曲の経緯およびコロラトゥーラの発展の歴史とコンスタンツェのアリアにおけるコロラトゥーラの劇的表現について記し、「ソルフェージュ1」の冒頭6 小節の声楽上の意義について文献学的考察を行った。
著者
八尋 春海
出版者
西南女学院大学
雑誌
西南女学院大学紀要 (ISSN:13426354)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.129-134, 2003-03-29

本論は,岩井俊二が脚本と監督を担当した『Love Letter』の芸術的価値について,作品の技巧を分析することにより明らかにするものである。まず,この作品が影響を受けたテレビ番組,映画監督大林宣彦,作家オスカー・ワイルド,マルセル・プルーストなどについて先行研究に言及しながら,さらに新たに発見した影響関係を指摘する。次に,映画の価値を高めるものとして登場人物や舞台などの共通性がうまく機能していることを,過去へのこだわりというモチーフに焦点を絞り込んで明らかにしていく。最後に作品のプロット及びストーリーにおいて,その中に隠された仕掛けや意味について検討し,作品の主題ともなっている"Love Letter" が,実は,主人公が出したものではなく,彼女が受け取ったものであるという解釈を導く。
著者
須藤 秀夫
出版者
西南女学院大学
雑誌
西南女学院大学紀要 (ISSN:13426354)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.133-149, 2007-02-28

グローバリゼーションの担い手として、多国籍企業、マネー、国際経済機関、および移動する人々が挙げられる。このうち最も影響力のある多国籍企業を採り上げ、その功罪を考察する。多国籍企業がホスト国(進出先国)に与えるデメリットとして、資源・労働力・伝統的知識の「搾取」、地元企業へのダメージ、所得格差、地元文化の破壊といった問題が挙げられる。グローバルな問題としては、所得格差、環境悪化、高コストが挙げられる。一方、ホスト国に与えるメリットとして、雇用、輸出、資本、技術があり、グローバルなメリットとして、情報伝達への寄与が挙げられる。多国籍企業はまだいくつかの問題を生じさせているものの、改善の方向に向かっている部分もあり、また、多国籍企業の与えるメリットをうまく捉えて経済発展につなげているアジアの国々などが示す通り、メリットの実現がホスト国に大きなプラスのインパクトを与える。多くの国々の政府が多国籍企業を総合的にプラスと認識するようになっており、従来の警戒感から歓迎する姿勢に切り替わっている。