- 著者
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梅宮 創造
- 出版者
- 跡見学園女子大学
- 雑誌
- 跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
- 巻号頁・発行日
- vol.22, pp.77-98, 1989-03-20
サッカレイが書いた様々な作品のうちでも、とりわけ『虚栄の市』を読めば、彼の抱えていたいろいろな問題に突き当る。ガンジス河のほとりに幼年時代を送り、その後イギリス本国へ戻って学校に入り、少年から青年に成長する。サッカレイは多感で神経質で、そのうえ母親にべったりなところがあったから、明るく楽しい思い出というような類は少ない。更に、成人して一家を構えるようになると、生活の重圧がもろに彼の肩に掛る。幼女の死、妻の精神異常、家庭崩壊、正しく悲運が悲運を呼ぶという具合だが、そんな生活の裡側でサッカレイの文学はゆっくりと熟していった。『虚栄の市』に彼の過去が揺曳していることは云うまでもない。サッカレイは自分の過去を凝視した人である。そこから人生を空と見る態度や、諷刺とか皮肉とか愛の精神、或は人物や事象の表裏を読む眼が鍛えられたものと思われる。『虚栄の市』ではそれらが作品を操る意図となり技法となって強く働いている。本稿ではそのあたりを出来るだけ作品から離れないで述べてみることにした。資料の勢いに流されることなく、作品の具体的な生命に触れるにはどうすれば良いか。そうなるとやはり、立返ってゆく所は作品そのものを措いて他にない。これは文学作品を扱う場合に常に重要な問題である。