著者
梅宮 創造
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.53-77, 1994-03-15

本稿では、『ヘンリ・エズモンド』をどう読むか、という一点に的が絞られる。この作品は従来、歴史小説、家庭小説、心理小説など名札を付けられて、サッカレイの主要作品の一つに数えられて来た。それならサッカレイにとって歴史とは、家庭とは、また人間心理とは何か。この問題はどこかで押えておかねばならない。しかし論点が抽象に流れないように、まずサッカレイの実生活を凝視するところから始めたい。当時のサッカレイが、過去に寄せる関心と現実の日々の生活とをどんなふうに重ねあわせていたか、そのあたりを各種資料のなかに探りたい。とりわけ「ヘンリ・エズモンド」となると、作品制作の上で、あの物議をかもしたブルクフィールド夫人の一件がひときわ大きい。ここに家庭の歪みやら女性心理の屈折やらが透けて見えるのは論を俟たない。もちろん、作品の読み方は各自各様であって然るべきだが、それとは別に、読みの深浅という事実は厳然として残る。その点を疎かに考えるわけにはいかない。本稿の狙いとしては、作品の周辺事から攻めて作品の中枢部に迫る、ということになろうか。叙述のそこかしこに挿んだ指摘や引用は、一つにまとまって論を成すというよりも、それぞれが即ち作品の「読み」のあらわれと云えよう。
著者
梅宮 創造
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.77-98, 1989-03-20

サッカレイが書いた様々な作品のうちでも、とりわけ『虚栄の市』を読めば、彼の抱えていたいろいろな問題に突き当る。ガンジス河のほとりに幼年時代を送り、その後イギリス本国へ戻って学校に入り、少年から青年に成長する。サッカレイは多感で神経質で、そのうえ母親にべったりなところがあったから、明るく楽しい思い出というような類は少ない。更に、成人して一家を構えるようになると、生活の重圧がもろに彼の肩に掛る。幼女の死、妻の精神異常、家庭崩壊、正しく悲運が悲運を呼ぶという具合だが、そんな生活の裡側でサッカレイの文学はゆっくりと熟していった。『虚栄の市』に彼の過去が揺曳していることは云うまでもない。サッカレイは自分の過去を凝視した人である。そこから人生を空と見る態度や、諷刺とか皮肉とか愛の精神、或は人物や事象の表裏を読む眼が鍛えられたものと思われる。『虚栄の市』ではそれらが作品を操る意図となり技法となって強く働いている。本稿ではそのあたりを出来るだけ作品から離れないで述べてみることにした。資料の勢いに流されることなく、作品の具体的な生命に触れるにはどうすれば良いか。そうなるとやはり、立返ってゆく所は作品そのものを措いて他にない。これは文学作品を扱う場合に常に重要な問題である。
著者
梅宮 創造
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.83-104, 1993-03-20

本稿では若きサッカレイの生活模様に主眼を置く。チャータハウス校を出てケンブリッジ大学に入り、その後の精神放浪、結婚、家庭、妻の発狂、等々、サッカレイのくぐり抜けた甘い苦い経験を凝視してみたい。そこから何が生れるか。作家誕生の過程が、作品制作の秘密が、そして何よりも、サッカレイなる人物の体温が直かに感じられるものなら喜ばしい。たび重なる苦難の日々に悲哀となり夢となり、陰に陽に現れている彼の素顔、それを明らかにすることが当面の仕事である。サッカレイ文学の深い理解のためにも、欠かすべからざる仕事であろう。大作『虚栄の市』に至るまでの道程は生易しいものではない。サッカレイは一とき画家を志し、新聞記事を書き、小説を試みては批評文を物すなどした。その下積みは何年も続いた。剰え、サッカレイには生活の不如意が、家庭の悩みが絶えなかった。それやこれやが彼を鍛え、文章に磨きをかけ、結果としてはその作品が類稀なる光芒を放つに至った。しかし、これが彼自身にとって仕合せな結果であったか否か、判らない。後世の我々は遺された作品を読み、手紙や日記を検め、さらに夥しい証言や伝記の類に眼を通すばかりである。そうして一作家の像を心中にふかく刻み、末永く、個人の大切な所有物として蔵って置こうとする。それで良いのだろうと思う。もとより文学は他人に押付けるものではない。他人を説得するものでもない。文学研究上の「新発見」などにせよ、多くは既に発見された真実の「再発見」であろう。何故なら、文学における真実とは、幾度も幾度も重ねて発見されるべきものであり、一個の動かぬ力を揮って人を黙らせる代物ではない筈だから。