- 著者
-
石田 信一
- 出版者
- 跡見学園女子大学
- 雑誌
- 跡見学園女子大学紀要 (ISSN:03899543)
- 巻号頁・発行日
- vol.33, pp.97-110, 2000-03-15
一九世紀を通じてダルマチアにおいて進展した国民統合過程との関連において、同時代のイタリアからの政治的・思想的影響、とりわけ統一国家形成をめざす運動、いわゆるリソルジメントが進展する中でのイタリア・ナショナリズムの影響について考察した。従来、クロアチア国民統合過程の視点からクロアチアとダルマチアの影響関係については多くの論考がなされてきたが、イタリアとの関係についての論考はなお不十分であり、本論はそうした事実に対する問題提起としての意味を持っている。一九世紀前半、ダルマチアの知識人の多くはイタリア系、スラヴ系を問わずイタリア諸邦で高等教育を受け、イタリア語を日常的に用いており、イタリアから最新の思想的潮流を学んでいた。オーストリアの強権的支配に抗議する意味で、彼らの中にはカルボネリアや「青年イタリア」を通じて提起されつつあったイタリア・ナショナリズムに傾倒する者もあった。しかし、多くの場合、彼らはリソルジメントを全面的に支持したわけではなかったし、ダルマチアを将来のイタリア統一国家の一部とは考えていなかった。一八四八年革命に際して、自治体レベルでも個人レベルでもヴェネツィアを支持する文書がほとんど残されていないことは、その証左である。イタリア人と南スラヴ人は反オーストリア的立場で共闘する側面を持ち、領土的要求を含む「民族」的対立は顕在化していなかったが、ダルマチアの知識人、とくにスラヴ系知識人はリソルジメントの中からむしろ自らの南スラヴ人としての国民形成・国民統合を実現する手法を学んでいったのである。