著者
近藤 存志
出版者
日本建築学会
雑誌
日本建築学会計画系論文集 (ISSN:13404210)
巻号頁・発行日
vol.63, no.514, pp.249-255, 1998

18世紀後半に始まったエディンバラにおけるニュータウン建設事業は、スコットランド啓蒙思想の最盛期に、その中心地において構想、実施されたことから、しばしばスコットランド啓蒙思潮の「建築」と「都市計画」の分野における具現化の事例として取り上げられてきた。特にその幾何学的な格子状の街区構成が、「秩序」(order)、「規則性」(regularity)、「改良・改善」(improvement)等の啓蒙思潮の概念と結び付けられて解釈されてきたのである。本稿では、ニュータウンの建設に際してエディンバラ議会が制定した建築物の建設に関する法令の内容に注目することで、スコットランド啓蒙思潮がエディンバラにおけるニュータウンの建設構想に与えた影響の一端を確認したい。エディンバラを中心としたスコットランド啓蒙思潮は、法律、政治、学問、文化等の分野の新たな展開を触発し、都市社会はその変化に新しい建築物の建設という形で敏感に反応して、新しく多様な公共施設、大学、病院、刑務所などが相次いで計画、建設された。こうした一連の公共事業のなかでも、とりわけエディンバラのニュータウン建設は18世紀のスコットランド啓蒙思潮が建築・都市計画の分野に果たした影響を最も顕著に示している事例である。18世紀後半のエディンバラは、デーヴィット・ヒューム(David Hume)、ケームズ卿(Henry Home,Lord Kames)、アダム・スミス(Adam Smith)等の著名な啓蒙主義の思想家たちを中心として、多様な学問分野における盛んな知的交流が組織化されていた。スコットランド啓蒙思潮を先導したこれらの思想家たちは、各々異なる専門分野を有していたが、啓蒙思潮の根本概念を一般の社会生活に適用することを試みることで、理想的な啓蒙社会を建設する意図を確かに共有していた。エディンバラにおける公共建築の建設や交通網の整備等を提案する機関が1753年に設置された際に任命された33名の委員には、こうしたスコットランド啓蒙主義の主要な思想家たちとその思潮を理解し支持するエディンバラの識者の面々が名を連ねている。18世紀中頃のスコットランド、とりわけエディンバラは、1707年のスコットランドとイングランドの合邦以来の経済的発展、人口増加、交通網の整備、そして都市拡張の必要性に直面していた。スコットランド啓蒙主義の思想家たちは、経済的・社会的発展が社会の秩序ある「徳」の確立を前提として成立するものであると考えていたから、こうしたスコットランドにおける発展の傾向に際して、如何にこの社会的徳を実現するかという問題に取り組まなくてはならなかった。すなわち、腐敗と堕落を回避して社会的な徳を実現する一方で、継続的な経済発展の前提としての市民の権利、所有、自立を如何に両立させていくかという問題が主要な論点となったのである。こうした時代の課題に対してユ8世紀のスコットランド啓蒙思潮は、自然法の伝統に結び付く個人の自立、所有、権利、義務等の観念を尊重、強調することで社会の「富」の実現を目指す一方で、同時に公共精神や公共的な義務、さらには法令に基づく社会秩序の確立を通じて、「富」の追求が往々にしてもたらす人間の「徳」の堕落を阻止することを模索した、こうした傾向を前提として、スコットランド啓蒙思潮が理想とする都市環境の建設にあたっては、個々の市民の自立、資産、権利等の保障と、共同体の一員として市民が共有すべき公共精神や公共的義務との間の、微妙な均衡を維持することが重要な課題となった。ニュータウンの建設が実際に開始された直後の1768年に発令されたニュータウンにおける建築物の建設に関する法令には、スコットランド啓蒙思潮のこうした課題への取り組みが読み取れる。この法令の発令には、共同体の一員としての市民の公共精神や義務を確立して、共同体としての都市社会の公共の「徳」と「秩序」を維持、確保しようとする意図が含まれていた。具体的には、ニュータウンの景観美や格調を重視した建築物の建設計画規準の作成や個々の建築物に適した敷地の選定などに関する規定が、この法令には盛り込まれている。スコットランド啓蒙思潮によれば、個人の権利と趣味が尊重されることで積極的な「富」の追求が許された市民と社会は、従わなければならない法令の発令を通してその共同体としての「秩序」の崩壊と個人の「徳」の堕落を回避することができると考えられていたのである。こうした法令が発令された一方で、ニュータウンの個々の建築物がそれぞれの所有者の建築的趣味に基づいて個別に設計、建設されたことは、スコットランド啓蒙思潮が個人の所有、権利、自立、個性、趣味等を重視していたことと無関係ではない。実際にこの法令には、「人はそれぞれ建築に関する異なる趣味を持ち合わせているから、不変の規則を決定することは不可能である」(本文注釈18)と明記されており、個々の建物の所有者の建築的趣味を規定する意図がこの法令の発令にそもそもなかったことを裏付けている。こうした個人の建築的趣味を尊重する傾向は、美的趣味が個人の主観に基づくことを明確にしたスコットランド啓蒙の美学思潮を前提としている。ヒュームが異なる主観が異なる美を鑑賞することを論証して美的趣味の規範を確立することが不可能であることを指摘したように(本文注釈19)、ニュータウンの建設に関わったスコットランド啓蒙の識者たちは建築的趣味の規範を確立することの不合理を十分に承知していたのである。一方での秩序と徳の維持と他方の個人の権利と趣味の展開、その両者間にバランスをとることが彼らの困難な課題であった。以上のことから、エディンバラにおけるニュータウン建設事業そのものを、個人と公共、富と徳との間の繊細な均衡を建築的に、あるいは都市の文脈において具現化しようとしたスコットランド啓蒙主義の試みの産物として理解することができるであろう。こうした課題意識と試みが、一貫してニュータウンの建設を構想した人々たちにあったことは、ケームズ卿がエディンバラ議会に対して都市拡張事業の必要性を提言した1763年の書簡のなかにも端的に言い表されている。彼は次のように記した。「エディンバラの市街を拡張する事業は・・・個人の権利領域を侵害することなく、公共精神を発揮する絶好の機会であり、この事業を達成することは愛国心に富むスコットランド人としての大いなる喜びである。」(本文注釈23)

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