著者
浅野 二郎 仲 隆裕 藤井 英二郎
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学園芸学部学術報告 (ISSN:00693227)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.157-164, 1993-03-25
被引用文献数
1

明暦2年(1656),良尚法親王の創建に係る曼殊院小書院の一畳台目と,小書院に北接して営まれた三畳台目の茶室・八窓軒について論じた.小書院二の間(富士の間)の西に接して設けられた一畳台目の茶室については,小書院の部屋割りから,これがかつて東山殿にみられた茶立所に通じる茶礼が成立していたこと,この場合,台天目がその中心作法とされていたであろうことを推測した.また,この小間は,一面において極めてくつろいだ茶の湯の場として利用されることもあったとみた.茶室・八窓軒については,主に地下の者や町衆を客としての茶の湯の場として用いられたものと推測した.近衛邸の表向茶室については,指図によって,応山時代に「数奇屋」と書き込まれた一室が認められるが,これはいわゆる草庵茶室のそれではなく,茶立所としての機能を果たすものであったとした.しかし,孫の予楽院の時代に至っては,四畳半の囲居が「白木書院」に接して設けられ,そこでは草庵茶室,即ち,武家・町衆の茶に一歩の歩み寄りを感じさせるものがあるとした.曼殊院創建の翌年,即ち,明暦3年には良如法主が西本願寺黒書院を営む.黒書院には一の間に付属して七畳の茶室が設けられた.曼殊院小書院と,この西本願寺黒書院の創建には,その計画について良尚法親王にとっては兄,良知法主にとっては義兄に当たる八条宮智忠親王の存在が考えられ,兄宮の建築に対するすぐれた造詣と,茶に対する深い理解に基づく指導,即ち,両者の日常生活の在り方,茶に対する対応のちがいをふまえた適切な指導が,それぞれの場に相応しい茶の湯の空間の創成を成し遂げさせたとした.

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